2000年米国旅行記 NO.2
4月5日ー5月9日までアメリカの旅でした。膨大ですが記録です。
私たちのアメリカ
21日
曇り、雷鳴が轟く。マイクが駅まで送って呉れた。激しい雨の中、近代美術館には長蛇の列。
イースター休暇のせいらしい。アメリカ工芸(craft)博物館は展示も良く、成果があった。
家具や家庭用品に遊び心がある。5番街のHeavenでスープとマカロニを食べた。
美津子憧れのTiffany.本当にjust lookingとなってしまった。ナインウエストでつっかけを求めた。
私の靴の先が外れてきたのでCranfordの駅前でBostonianという靴を買った。$100は安い。
夕食前に「シナトラのNewyork」,Jijiを見る。
当家の<息子CoryがメリーランドのBaltimoreから帰宅するのに雨で高速道路がつかり、遅れる。
洪水(flood)でバスが3時間半遅れた。マイクはディナーにjuicyなチキンと赤ポテトを用意して呉れた。
日本では過去の苦い経験で道路は土手の上にある。疲れているが皆でお茶を飲んだ。
土産の中国の習字セットをプレゼントした。
22日
小雨、今日はオペラのはしごである。10時のバスでNYに向かう。
リンカーンンネルの
手前に巨大な岩石の城壁のような景観になっている。
バスセンター近所のBar&restaurantでローストビーフのサンドとキノコスープ。
New York City Operaのマチネーでトスカを観た。演出は斬新で、トスカも清純なというより強い女性像である。
スカルピアの刺殺も何回も刺す。警察のセットはナチの黒赤を使用してる。
警官が拷問の為に手袋をはめる等演出がリアルである。私は「星は光りぬ」等の詠唱で知られるテナーの
カヴァラドッシには満足した。マイクは劇場のシーズンメンバーで8時からのラモーの「プラテー」は
一緒に観る手はずである。5時20分にOrley*s(オリヴァーの意)の店に行くと既に夫妻は到着していた。
セダーの慰労会である。わんたんとギョウザ、スズキ(sea bass)の照り焼きを食べた。
待ち合わせ場所では中国人の男女が琴やフリュートの日本や中国の歌を演奏をしている。
誇らしげに「更けゆく秋の夜」の童謡の解説をしていたら翌日持参の童謡集を見てるとなんとアメリカ人Ordwayの作曲とある。
素直に事情を話した。「Platee」は文句なしにおもしろかった。開演前にバーに自然に客が集まって行く。
そして裸の男性やら色色な人が踊り出す。主人公は蛙の化け物のような水の妖精である。
テナーが演じてるが最初はソプラノと思っていた。ゼウスが奥さんの嫉妬癖をなおすためにプラテーに恋してるかの如く装い、
奥さんがびっくりしてめでたしとなる趣向であるが、ラモーのバロック音楽を舞台の演出と見事なバレーで飽きさせない。
タイムスの評価も良かった。私の右隣の夫人の笑うこと笑うこと。
帰途の車中でCarlaが言うには隣の男性は舞台を見るなり夫人に文句を言い、寝ていたらしい。
私なら離婚の証人になるわという。駐車場は12時間で$7.5。やはりNYは安い。(日本が高い)
23日
晴れ、今日から我々は旅に出る。美津子のluggageのみ持参する事にした。
今日はペンシルヴァニアのロングウッド公園への遠足である。
寄宿舎に戻るCoryがグレイハウンドのウイルミントン駅まで同乗する。高い並木の高速道路がうんざりするほど続く。
Coryに一昨日の路は同じかと質問したら同じだがウンと時間をかけて、と答える。
彼の好きなジェームス.ジョイスの作品が日本語に訳されてるということがイメージ出来ないともいう。専門は彫刻らしい。
後日Carlaから彼が個人の居間に書いたアラビアンナイトの壁画を写真で見せて貰ったが、舌を巻く出来栄えであった。
デラウエアー州を経由して12時40分Longwood Gardenに着いた。
ここは1906年に化学会社のデユポン家がハナミズキの保護を目的に購入し、別邸として使用してたものを
公開したものである。地上の楽園のごとくチューリップの青、紫から赤、黄、とグラデュエーションするのが素晴らしい。
多様の花が咲く。噴水や滝が園内にしつらえてある。
温室の白アジサイのハンギングとデルフィニウムの白の下草、昼食をはさみここの素晴らしさは絶句した。
食堂では今日イースターサンデーで子どもの為の動物の恰好をしたバーニーがサービスする。
最初の宿泊地フィラデルフィアのシェラトンホテル迄送って呉れてフロントでトラブルないかまで確認して呉れた。
別離、両人とはhuggingで挨拶する。この後ベルボーイの鍵のことで悶着したが詳しくは省略。
美津子が抗議文をホテルに書き、5月始めにマイク宅にホテルの詫び状が届いた。
24日
快晴、デラウエアー川に面してペンズランディングという波止場がある。ここの下流には造船所があり、戦艦もある。
今日は地下鉄を利用して、26日に出発する駅の確認をする。2枚で$2.3のトークンを買う。
ブルーラインで駅まで乗り、駅でメトロライナーの乗車券を購入した。指定席でもないのに予約が要る。
二人で$180。マイク達が恥じるように他の物価に比してアメリカの汽車、飛行機運賃は高い。
フランクリン博物館に行く。ここは子供たちが触り、科学の勉強が出来るように工夫されている。
液体ガスを説明した女性学芸員に脱帽した。彼女の英語は我々に理解し難いが、子供たちは積極的に
質問に解答して行く姿勢である。舞台にも上がって照れない。独立広場の1776年に鳴らされた「自由の鐘」、
ジェファーソンが独立宣言の草案を書いた家等を観て、晩は独立戦争当時の居酒屋を復元したCity Tavernに行く。
トマスジェファーソンというビールを奨められた。ビールに苦みがある。ウエイトレスも当時の衣裳。バロック音楽が流れる。
私は鮭とエビ、美津子はクラムチャウダーとラム。
食後の散歩で1976年エリザベス女王来臨のもとにイギリス国民から贈られた鐘やギリシャ建築様式の
米国最初の銀行の建物を見た。盲人でもわかるように公園の模型がある。ホテルで和三盆で仕上げ。
25日
地下鉄を利用してフィラデルフィア美術館(Museum of Art)を訪問。建物が堂々の威容である。
特別展示の「18世紀のローマの輝き」を最初に見た。この展示に作成された青少年向けのガイドブックは
美術品を見て鑑賞者に考える手だてを与える素晴らしいものである。
例えば「聖ベネディクト幼児を助ける」の絵では
Why is everyone on the steps of a church?(なぜ人々は教会の階段にいるのか)
What is the matter with this child?(この幼児に何が起きたのか)
Who are the people watching?(人々は誰に注目してるか)
Why are the people wearing white? (何故人々は白い着衣か)の如し。
そして画家のサブレイラスの出身地のパリとガイドブックの地図上のローマとを線で結んでみよ!とある。
「すべての道はローマに通ずる」という古い伝えが18世紀にも生きていることを理解させる趣向である。常設展へ。
ここでも印象派の巨匠の作品が山と見られる。詳しくはガイドの何ページを見よとある。
私はガイドブックを求めに地下に行き、危うく迷いそうになった程広い。しかし、当方も巨大美術館の鑑賞に慣れてきた。
通常1館連続2時間が目安である。これを越えると疲労が高まり、印象が薄くなる。カフェテラスでスープとパンを食べて
10時15分から2時半までを費やした。
タクシーで市の中心部にあるAcademy of the fine Artsに行き、アメリカ人の絵画を鑑賞した。
Peale,Westに敬意を表した次第。市役所の上にはウイリアム.ペンの彫刻が乗ってる。
夜はホテル近所のイタリヤ料理で海鮮料理 ミネステローネと子牛のパバロッテイ風。寒くて散歩を省いてホテルに直行。
26日
快晴。朝にホテルの非常ベルが鳴る等ハプニングあり、7時半にホテルを出た。街が狭いのでタクシーも$13。
駅で甘いパンと紅茶の朝食。今日は9時14分のアムトラックの汽車である。
駅の構内に階段の入り口があり、ロープの前に並ぶ。9時5分にロープを係員が外してプラットに降りる。
Coryが勉強しているBaltimoreを過ぎて順調に12時にワシントンに着いた。
ここでの宿はLoews L*Enfant$260と張り込んだ。部屋からの眺めはポトマック川を背景に公園が一望されて素晴らしい。
体重が66kgに減ってる。マイク宅での3週間の節制が効果があったのであろう。
早速に地下鉄のOne day passを$5で買う。券は出る際にも使う。
フイリップコレクションが今日の目標。風刺画家ドーミエ展をしてる。1808年生まれの画家の沢山の絵を堪能した。
常設展示はルノワールの「船遊びの昼食」が圧巻。日本で昔見たボナールの「少女」があり感激。
ほかにゴヤ、コロー、ミレー等。ここでは図録は買わずにVIDEOを求めた。
後日マイク宅で見るとコレクションの歴史に重点がある。
我々はがっかりしたが、Carlaは面白いという。museum caf*で遅い昼食を取った。
ついでアーリントンのケネディー墓地に敬意を表した。私は2度目。アイルランド移民の悲劇の大統領は人気がある。
94年に亡くなったジャックリーヌも埋葬されてる。どうも彼女は命を狙われてるとギリシャに避難したようにもとれる。
マイク達は犯人はFBIと信じてる。夜はパス。
27日
曇り、部屋でコーヒーメーカーのお湯で日本食。
タクシーでリンカーンメモリアル。当地のタクシーは地区制で料金が分かりにくい。
大きな彫像は新たな感動がある。彼も奴隷の一部許容論から全面否定論に変化してゆく。
現在禁句のnegroがリンカーンの演説では使われてる。
ワシントン記念塔の清掃作業やホワイトハウスのつつじを眺めて、市の西側にあるワシントン波止場に行く。
12時のナイチンゲール2世という船に乗る為だ。11時に船長に聞くとKidと一緒でも良いかという。
韓国人経営のスナックで昼食。さすがに食欲がある。団体の黒人の子どもたちと乗り合わせ、
ポトマック川を1時間下流まで往復した。彼らは小学校3年で9歳。付き添いの先生も4人いる。
隣の男の子のいうことが分からなかったのでペンを渡して書いて貰ったが此れが読みにくい字で下船後に
美津子がHave you any mints?であると判読した。巨大なNational Gallalyへ行く。展示はWest Buildingにある。
タクシーは東に着けたので連絡通路を歩くだけでも大層な距離がある。無料である。メトロポリタンよりは見やすい。
メインフロアーのみの展示だからである。この日は北半分を見た。19世紀フランス、13世紀から16世紀のイタリア美術である。
フラゴナールの少女の絵を模写してる夫人の出来栄えがほぼ完成に近く、原作以上の出来のように見えた。
ホテルへの帰途にロシヤ人ハーシュホーンの寄贈した円形の美術館に寄る。ダリの個展がある。
ロダンやマチス、マイヨール、ピカソ、ヘンリー・ムーアの彫刻が道路を挟んだ広い庭園にも展示されている。
アメリカの富には驚嘆するばかり。私はホテルのバーでスタウトビールとマーチニーを飲み、dinnerは鮭の料理を楽しんだ。
美津子は貝柱とえびのバター焼き。
28日
朝はルームサービス。チェックアウトを済ませてホロコースト記念博物館に行くが500人を越える長蛇の列。
敬遠してNational Gallaryの南半分、オランダ、19世紀前半以前のフランス、ルーベンスやファンダイクのフランダース派、
スペイン、英国等を要領良く見れた。すしバーに行く。みそ汁を入れて$26。ホテルのハイヤーでレーガン空港に。
$15。晴れた午後である。US Airで5時半ボストン到着。金曜日チャールス川でヨットを楽しむ人が多い。
再びシェラトンに。ここは徹底した省人化で部屋に運ぶベルボーイも不在。
プルデンシャルセンターの中にホテルがあり、夕食を求めて散策したが金曜でどこも人があふれる。
あるレストランは待ち時間1時間という。Marcheの店でチキン、魚のフライ、野菜とワインを買って自室で乾杯した。
$24。
29日
快晴。部屋で昨日求めたグレープフルーツとコーヒー。果物は氷で冷えておいしい。
フリーダムトレイルの起点ボストンコモン公園まで地下鉄で行く。これで4都市目であるが地下鉄は少しづつ違う。
当地では中心部へはIn Bound 逆はOut Boundである。遊園地の電車のようで、運転手のそばにトークン(85c)を入れる。
2両目にも運転手がいる車両もある。8時半Visitor centerが開くまで南北戦争の英霊を祭るFlagstuff Hillにいた。
今日は肌寒い。6つの市内の施設が見れるCity Passを$30,25で求めたが後刻イザベラ美術館では
$28,25で売られていてcenterの悪辣さには憤慨した。Carlaも同意見である。
赤い線にそって歩き始めたが、矢張りアメリカの独立の歴史は浅く、興趣が湧かない。クインシーマーケットで中断した。
科学博物館でムースという大きな鹿のはく製を見たりした。学芸員が様々な実験をしてる。
次いで水族館を見た。まあ平凡。昼食はクインシーマーケットのイタリア料理で、ピッツアと野菜。
Copleyのジョンハンコックビル60階,225mの展望台に行く。
後で知ったがCopley,Boystonという地下鉄にもある地名は画家の名前である。
展望台には昔のボストンのジオラマがあり、昔は細い砂州の先の島であった様がわかる。
英雄ポールリビアの疾走等の解説がジオラマをもとにある。埋め立てで今の姿がある。
アメリカでもう1月近くになるが山の姿がない。疲れてホテルで2時間午睡した。
蘇生した。歩いてショッピング街newburyのタイ料理のBasilに行った。$62。
30日
日曜。開館と同時にボストン美術館に入る。まずは日本美術の部屋へ。浮世絵は光線に弱いので微光で観賞する。
歌麿描く女性はきれい。狩野派の絵画や諸仏像の展示も暗いが、お寺の太い柱や明かりが日本風にしてあり良好である。
確かに自国の美術を英文のキャプションで見るのは違和感がある。ここから2階に上がり中国美術を鑑賞した。
11時過ぎにレストランに入る。早いので空いていた。中庭には柳の新緑、微風にそよぐ木の葉のゆれを眺めての
昼食は贅沢な時を共有出来たという充実感がした。$75。午後フランス絵画を見た。
3時にZorgina vocal ensembleという女性の3人のコーラスのイタリア14世紀のラブソングというコンサートを聴いた。
入場料は$16。無伴奏のハーモニーは声質が合っていてなかなかのもの。
時々ソプラノの小柄な女性がトークを入れると客が笑う。我々にはくやしい時である。心が洗われた気持ちでホールを出た。
最近寄贈された日本庭園は2階のショップから俯瞰しか出来ない。ホテルに戻り、昨日以来気になっていた
マリオットホテルのスシバーに行く。日本酒を初めて味わった。勘定は$65。健康食としてスシは人気があるが、
高いのが難点であるという。この日もmarcheで明日の朝食を買った。
1日
快晴である。ノースステーションからセーラムに行く日。時刻表も無く、駅員にセーラム行きの汽車を尋ねたら幸運にも
9時45分に発車するあの列車に乗れとのこと。乗車してから往復切符を求めると2人で&10である。
ボストン市内の住宅は一様に茶色でくすんでいるが、郊外は色とりどりで鮮やかである。
遠足気分である。ミュージカル「回転木馬」の舞台、正しくニューイングランドの海岸に来た。
30分でセーラムに着く。駅員も居らず寂しい駅である。visitor centerに行き、当地とは関係ないが
1786年発布の憲法の写しやホーソンの「七破風の家」の小説を買った。
The House of 7Gablesはセーラム港に面していて、海が光っている。
草花の咲く中庭で待つことしばし、Mrs. Tinnという名札をつけた女性が15人ほどのグループを案内してくれた。
1,668年の建築で、1,804年生まれのホーソンのおばさんの家でホーソンの家も隣に移設してある。
ホーソンの祖父の祖父が魔女裁判に係わり、ホーソンはそれを恥に思い、
Hathornの名字にwを入れてHawthornとした逸話がある。
18世紀の当地の人が中国、日本に憧れていて、本物の陶器や木工品は高いので似せて作ったとか、
隠れ家のカラクリを説明する。
Tinnさんに中国の周荘で求めた扇子をプレゼントしたら、想像してたとうり夫が中国人ですと喜んでくれた。
そもそもセーラムに興味を持ったのは東京で昨年11月に「日米交流のあけぼの」展があり、ペリー来航までの
80年の間にオランダに雇われたセーラムの船を介して沢山の文化財が当地に来ている事を知ったからである。
昼食はブイヤベーズとクラムチャウダー。Peabody Essex Museumは大森遺跡で有名なモースがここの理事をしていて、
日本文化のコレクションに富んでいる。当日は「Odyssey」という展示で特別にわが国とは関係なかったが、
大名駕籠等間近で見れた。
Salem Witch Museumは1692年に当地で現実に起こった魔女裁判の事件をもとに暗がりのホールで次々に
人形がいる舞台を紹介する仕組み。日本語のテープを貸して呉れた。ピュリタンの抑圧された少女が異様な心理に陥って行く。
4時19分の汽車でボストンに戻った。
ホテルの側のクリスチャンソサイティーの教会を外から見て、タイ料理「バンコック」に行く。ここはタイ式の座敷もある。
2日
小雨。イザベラガーディナー美術館はボストン美術館と至近距離にある。10時に行くと11時開館の表示。
迷わずに$12負担してボストンに再度入った。見残したエジプト、ギリシャ、エトルリア美術を見た。
アレクサンダーの遠征以後エジプトのミイラもギリシャ化してゆく変化を見れた。ガーディナー美術館は豪邸である。
中庭や回廊が美しい。
しかし展示の説明がなく、部屋別に整理されてるガイドブックをいちいち見なければならないので不親切である。
部屋ごとに配置されてる学芸員に聞けということか。夫人の存命中の姿で見せたいという配慮かもしれない。
邸内に400人は収容出来る音楽ホールがあるのには驚いた。Museum caf*でスープとラビオリを済まして2時にここを出た。
ホテルで荷物を取り、空港に行くとコンチネンタル航空が1時間早い便に乗れるというのでラッキーと思った。
マンハッタンの風景を空から見れるのを楽しみにしていた。しかし、人間の建造物はピラミッドにしろ空から見るとしれている。
New Arkに着き、荷物が一向に出て来ない。待ってる米人にこんな事はあるのか質問したら滅多にないという。
彼も同じく繰り上げて早い便できたという。40分後にクレームしたら「あなたのクレームはわかる。
数分待ってくれ」という。どうやら後の便できたらしい。例の米人もstupid!と憤慨してたが、当地では謝罪もなし。
タクシー乗り場では女性の係官が行く先を聞き、リーフレットに$29と書く。
車内で読むと日本語を含む4ケ国語で乗車の注意が書かれていて、必ず領収書を貰えとある。
黒人の運転手は我々が目的の家を知ってるのか心配してるので安心させた。到着すると7時前でまだ明るい。
ダイニングにろうそくが点っている。後で聞いたらホロコーストの犠牲者への追悼で、年に何度か火曜に点すという。
10分差でCarlaが戻ってきた。夕食は彼女がサーモン料理と野菜のソテーを手際良く作って呉れた。
食後にアイスクリームを食べようという。冷蔵庫にでもあるのかと思ったらこれが皆で車で近所に買いに行くのである。
9時でもう暗い。Dairy Queenという店では彼女の顔なじみも客にいる。
犯罪防止のために若い女性が鳥かごのような店舗で注文を聞く。$6。帰宅して食べた。
美津子は天ぷらをすることを決めた。
3日
荷物郵送の日、段ボールを貰って背広や皮ジャンパーを詰めた。これだけ送れれば助かる。12時に郵便局まで2人で運んだ。
$42。領収書に母の日を忘れずにとある。美津子が隣人のゼルダ夫人から子ども達に日本語を教えてねと頼まれる。
昼食は近所のマイク推薦のChariteaという店で紅茶とサンドを食べた。郊外ののどかな一時である。
後刻カルラの説明で知ったが、この店は本当に2人の女性の思い立ちでチャリティーの店らしい。
天ぷらの材料仕入れに着いた直後に行ったPathmarkというスーパーに行く。
大きなキノコ、ピーマン、しょうが、なす、エンドウ、きぬさや、玉ネギ等と植物オイル。
玉ネギを刺すのに私は道で拾った木を数本ナイフで削った。
食事中にカルラに私がNecessity is the mother ofというと彼女も同時にinventionと言って呉れた。
アリゾナ出張中のマイクから電話があり、良い機会なので鍵をお返しした。食後カルラがアルバムを見せて呉れた。
彼らの家庭の複雑な事情に改めて驚いた。Salemでのカルラの昔話も聞けた。
4日
快晴。ピッツバーグに向かう日、8時半にかねてマイクが手配のハイヤーが迎えに。
カルラ在宅中に乗るのを見届けたいという配慮。
$50。空港での暇つぶしに今次旅行を2人でメモの確認をしていったが、分量が多く疲れて中止。
U.S.Airに11時半搭乗。40分経過して降下すると緑が見えてきた。
当地は100もゲートがある大空港である。
到着して高松君の姿が見えないので一路バッゲージクレームまで歩を進めて案内にアナウンスを頼んだ。
夫妻とすぐ会えたがゲートでは目をこらしてたのに透明人間やという。大阪弁を聞けるのも1月ぶり。
彼のアパートの近くのハンプトンインにチェックイン。ここは格段に安く、$70である。
アパートは清潔で快適そうである。
夫妻の話では10月から3月までは雪が降るので雪カキ作業の出来ぬ老人はアパート住まいせざるを得ぬらしい。
お茶で一服して、俊子さん提案の民芸品屋へ。我々は大阪以来の3年の積もる話をしていた。
彼はマメにクラシック音楽を楽しんでる様子である。
美津子は$89も買い物。彼ご自慢の夜景はモノガイラ川とアルゲニイ川が合流し、
オハイオ川(最終ミシシッピー)になる三角洲である。Manderey Innというレストランで乾杯。
私は鮭のバジル風。USスチールやガラスのPAAビルが見もの。赤いケーブルカーも可愛い。
5日
快晴。4人で10時開店のモールに行く。シアーズ、JCペニー、百貨店のカウフマンが入ってる広大なもの。
11時半にNYのコレクションで知られるフリック屋敷のカフェでスープとサンド。
ここはハーフの量をハーフの値段で食べられるので我々にはちょうどよい。
食後、邸内のクラッシック・カーのexhibitionを見物する。 ここにもフリック美術館がある。
1969年に彼の子供のヘレン・クレイが主として20世紀初期の美術品を集めたもの。
いよいよ2時からの邸内案内のツアーに参加。
ホール、客の控えの間、客室、ダイニングルーム、子供部屋、寝室、書斎とあるが基本的にはマイクの家と構造は変わらない。
客間の壁や階段は手彫り彫刻であるが、天井は紙を化学処理したもので、フリックが新しい技術に気を配っていた事が分かる。
廊下にミレーの晩鐘の絵が無造作に懸けられている。
富豪の家の紹介は最後にポーチで客に聴かせたパイプオルガンの自動演奏があった。
夕食はGolden Triangleの中にあるヒルトンホテルで済ませハインツ社が寄付したシンフォニー・ホールにでかけた。
この日は7時にプログラムのトップに演奏されるRaptuneという交響曲の作曲者のラウスが実際に来て、
ステージでインタビュアーが会場で音楽を流し彼に質問する。客席の何人かも質問する。
彼は1949年生まれで現在ジュリアード音楽院で教えている。
この曲はピッツバーグ・シンフォニーに委嘱されたもので初演である。
8時からアンドレ・プレビンの後任でこの春4年目となるマリス・ヤンソンス指揮のピッツバーグ交響楽団の演奏。
Raputuneも11分という短い曲であるが、華やかで終わるとラウスも舞台に上がり聴衆の反応もなかなかよかった。
ついでコンサート・マスターのカルデネスのハイドンのヴァイオリン・コンチェルト1番。
大柄な奏者が2楽章の美しいアダージョで繊細な音を奏でる。
次いで交響曲「軍隊」・リヒャルト・シュトラウスの3つの間奏曲を聴いた。
高松君の説明ではNo1はシカゴで2番目がボストンとNY、3位以下は
ロス、フィラデルフィア、本楽団が横並びという。 マイク、カルラもその評価には同意した。
6日
快晴。気温も上がり、今日は日中は70度という。
摂氏は32を引いて半分にし、1割足すとよい。すなわち26・4度である。
高松夫妻が9時15分に迎えに来てくれて、カーネギー博物館、美術館の前の滝のある庭で開館を待つ。
すぐそばにカーネギー・メロン大学のゴシック風の建物がそびえ立つ。
ここでは博物館の恐竜の模型や、アフリカのサバンナのジオラマの見事さに目を見張った。
美術館の方も充実しており、中でもモネの睡蓮(横幅6m縦2m)の大きな絵が印象的。
これはカーネギー死後の財団の収集である。ここは広くてすいていて鑑賞しやすい。
最後の昼食をミュジアム・カフェでオニオンスープ等をとった。
美津子はバナナプデイングを楽しんだ。
夫妻に別れを告げUSエアーは出発が20分遅れたが、2分早くニューアークに着く。マイク夫妻が出迎えて呉れた。
シャワーを浴びて7時半にマキ邸におもむく。
アデールの妹タラと友人ジョセフィーヌ、アデールのボーイフレンドのパウロと友人アンドレアを次々に紹介された。
幸いマキへのみやげ炭酸せんべいと4つのギフトを持参していた。 すしのオードブルと飲み物。
メインはサーモン料理、パスタときのこソース。
私も電卓を使ってのジョークや1番長い英語は何か(smiles)と彼らを笑わせた。
若い人はそれぞれに去り3組の夫と2時まで話をした。主人のジェフが我々に花瓶をみやげにくれた。
7日
4人で日本食の食事をした。ライスにふりかけと梅ぼし。パッキングに12時までかかる。
今日はプリンストンまでのドライブ。暑くて私もTシャツに着替えた。
1時間で到着。構内はさすがに美しい。当校で教えていた江藤淳を思う。
美術館は大学ゆかりの人々の寄贈でルノアールありドガあり。素敵な休憩室までもが寄贈である。
たいていがGiven in memory of Mr......by his childrenという具合である。入場料不要だが若干の寄付をする。
ここの図録はマイクがプレゼントしてくれた。庭のピカソの彫刻の前で写真を撮った。
構内の音楽堂では覗き見ると混声コーラスをやっていた。マイクの案内で近所のCD屋に行く。
中古のCDがそろっている。モテットなどを買う。お腹もすいたので、早めにイタリア料理店に入る。
ここがすばらしくおいしかった。私はチキンスープにパスタ・ペスカトーレ。
マイクの父上が卒業したRutgers大学に立ち寄り帰宅して心残りが隣家のゼルダの子供たちである。
蒸し暑くて1階のベランダで涼んでいると一家が戻ってきた。
ジョンとスーザン夫婦とジュリアンヌ、ジョニー、ブライアンの子供達。
45才のスーザンの誕生日祝いに食事に行っての帰りらしい。ここでもみやげが役にたった。
特に紙風船は大小3個あり、子供も大人も大喜びであった。
ジョンが「ママ、ジュース頂戴」「ママ、友だちと遊んでいい」は日本語でどういうのか注文をつける。
兎に角日本語のかたことを教えて記念写真を撮りこの度の旅行の最後を飾った。
8日
早朝5時半出発。カルラも見送ってくれた。
今回の旅を象徴するかのような快晴で、エンパイアステートビルに並んで朝日が昇りはじめた。
終わり