1999年 イギリス旅行記

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1999年英国旅行

「プロローグ」
美津子がヤマハを退職したのが4月末、すぐにでも出かけたいところが、初孫の誕生予定日が5月4日、
私の芦屋でのヴァイオリンの発表会が6月13日、台湾学会総会が6月19日、
美津子のルーマニア遠征が7月下旬という事で、6月21日から7月3日を旅程と定めた。
今回の眼目は初めての海外での運転である。

5月21日
伊丹で国際免許を取得した。ロンドンのオペラの券は4月中に三菱の後輩である高木君が手配してくれた。
6月21日 20日にJASで東京の学会から戻ったばかり。
それでも5時に起床して、6時5分の電車に乗るべく自分の車で山手駅に荷物を運んだ。
一度自宅に車を置きに帰り、駅に戻った。7時35分の尼崎からのバスで関西空港に向かう。
今日の便は10時発大韓航空で、ソウル経由14時間でロンドンに着く。
ソウルを出ると北京の北からゴビ砂漠、ウランバートルを越え、シベリヤの草原をひたすら西へ、
デンマーク、オランダ上空からロンドン入りする。到着は午後5時前。
機内食のピビンバは味噌とゴマ油を肉や野菜と、ご飯に混ぜて食べるのだが美味であった。
隣座席の仁川生まれの学生はロンドンで英語の学習中という事であった。
ヒースローエクスプレスの列車でパディントン駅へ向かう。典型的な英国の若い青年が切符の買い方を教えて呉れた。
10ポンドで乗車すると女車掌が改札に来る。15分で到着。青年もタクシーなので一緒に向かう。
整理係に従って乗り場に列を作る。ハイドパークを横切る道路はラッシュ時で大混雑で、
結局ハリントンホールホテルまで40分、20ポンドもかかった。7時過ぎ街に出るが2人ともフラフラである。
しかし食欲はあるので、イタリヤレストランで腹ごしらえした。勘定の際に10年前に来た時に持ち帰った5ポンド、
10ポンド紙幣が、流通してないらしい事が判明した。96年からそうなったらしい。
ホテルは地下鉄グロースター駅からすぐである。翌朝バークレー銀行で新札に替えてくれた。

6月22日 
昨日空港ではexchange bureauで300ポンド両替済み。ホテルのEnglish breakfastを食べた.
果物ジュースは果物の実が浮いているくらいフレッシュで、それと紅茶がおいしい。
ピカデリーサーカスにある英国観光庁にドライブ旅行の地図や湖水地方のホテル情報収集に出かけた。
地下鉄から徒歩2分とあるが、アチコチ聞き歩いてやった探し当てた。
窓口はゾーン別で(つまり、アイルランドやスコットランド)、資料をふんだんに呉れる。
10年前私が7日連泊してよく散歩したリージェントパークに行く。ここは変わりなく、バラのにおいが満ちあふれる。
旅行、最初の花の洗礼であった。コヴェントガーデンでイタリア料理を食べ、ホテルでウインブルドンのゲームを観る。
9時に試合見物帰りの高木君が迎えにきて呉れる。クイーンズウエイの中華料理店「朝」に案内してくれる。
ペキンダック等多くの注文をして若干食べ残した。周囲の座席は満員でかしましい。
彼も赴任後4年すでに家族を帰し、1年の任期を残すのみである。再会を約す。

6月23日 
ホテル近辺のスナックで朝食。インド人らしい店主。<コンチネンタルで6ポンド程度。
ここは店の人とのふれあいを感じる。電話帳で調べたシティーバンクに向かう。ロンドンブリッジ近辺である。
捜し当てたが、事務所のみで両替業務は支店という。そういうとこの銀行は日本でも支店の電話は公表してない。
屈強の男性が数人いて警戒がものものしい。
教えられた最寄りの支店に行くべくテムズ川を徒歩で渡り、モニュメント駅からテンプルで降りる。
両替1,000ポンド。20ポンドを主体にして現金で貰うと、札束を折っても膨らむ。
美津子が宝くじにでも当たったように半分持ったげようかというのがおかしい。
支店を出たところで偶然にリチウム劇場で「オクラホマ」の公演がマチネーであるのを知る。
早速35ポンドで買い求め、ホテルに戻る。幸運である。朝の支店の間違いは帳消しである。
美津子は5月末に大阪であつらえた黒の衣装にドレスアップ。2時半開演で近所のパブの2階でサンドで昼食。
なにしろどこから出てきたのか観客で満員。この日の混雑で週末の湖水地方を行き当たりばったりで
決める方針を変更せざるを得なかった。「オクラホマ」は昭和32年の1月受験勉強中に
梅田で妹の光子と映画を観た。人生観に影響を与えた名画である。本当に大衆に喜ばれる健全な娯楽である。
なぜかヴィデオがない。大満足であった。ただし歌詞は判るが、ジョークは判らず。残念。
跳ねたのが5時45分、7時開演のコレギウムでのカルメンとはしごである。付近のイタリア飯屋で軽食。
舞台の端役が伸び伸びと演じてる。ダンスのうまい眼鏡のおじさんが面白かった。幕間にワインを飲む。
ホセとミカエラが良かった。

6月24日 
美津子が明日の予約のために電話したが、湖水地方のレークサイドホテルは満杯。
多田さん情報の雑誌からリンズウエイトホテルを2泊申し込む。
朝夕食つきで1人105ポンド。後で分かった事であるが、このホテルは2泊が条件らしい。ホテルでおかゆを食べた。
梅干しとふりかけがおいしい。この日はワンデー、トラヴェルチケット(zone 1-4)を4ポンドで購入し、
10時発でロンドン西郊外のキユーガーデンに出かける。
アールコート駅でウインブルドンに行く大勢が降りる。我々はターンハムグリーンでリッチモンド行きに乗り換える。
遠足気分である。入場料は5ポンドで広い敷地に悠然とある。まずはサンドでブランチ。
貴族的気分にひたらせて呉れる見事な庭園である。見渡す限りの美しい芝生。グリムの御伽話に出てくるような樹木。
ゆったりと散策した。池の周囲では孔雀たちが悠然と遊ぶ。車椅子に主人を乗せた老婦人がパンを呉れた。
鳩もくる。北にテムズも流れる。初めて持参の懐紙入れをプレゼント。
2時にキューガーデンを出て、ホテルで小休止。4時に買い物に出かける。
目当てはリージェントストリートのリバティー百貨店。あまり成果がない。5時50分にタイポットで定食を注文した。
55ポンド、しかし、7時半開演のリゴレットのためにデザートを食べ残した。
やはりディナーは1時間半は必要である。度肝を抜かれたのは劇の翻意である。
1950年代のアメリカNYのイタリア人街に設定。リゴレットはバーの主人、
公爵は「デューク」と呼ばれるマフィアである。夕食のワインのせいで眠気がして、1時間が過ぎた。
1回目の女心の詠唱は終わっていた。オケが素晴らしく良い音であるが、座席は狭い。

6月25日 
いよいよマンチェスター行きの日、5時起床。再びお粥を食べた。荷物を作る。
私のスーツケースとお土産の紅茶をホテルに預けた。ホテルから地下鉄の駅まで美津子がスーツケースを押しながら進む。
ピカデリー線から飛行場に直行出来る。飛行場の駅はターミナル1と2―4までの2つある。
地下鉄はこの2つを回って再び東へ引き返す仕組みである。40分で到着。8時に空港の食堂で朝食。
9時にセキュリティーチェックを受ける。予想よりかなり大きい飛行機でスチュアデスも2人いる。
10時に離陸するや熱いホットドッグが配られた。1つは食べ、一つは手荷物に入れた。
レンタカーのハーツの事務所は大勢の人で3人目でようやく順番。幸いにもカローラに当たった。
契約には重要条項にaccepted 、declined の選択があり、それぞれにサインを求められる。
美津子の運転も保険に入ると1日6ポンド追加がいる。待っていると40前の青年が運転して現れた。
青い新車に近い車である。自分は海外で初めての運転である事を告げて扱いを聞く。
大層親切で、飛行場から外部に出るのと取り扱いの実地を習う為に軽く一周して貰った。
ランアバウトは右にウインカーを出して入り、出るときは左にウインカーを出す。
実際は2列で右に自分と同じ動きをする車がいる際には左ウインカーを出すのであるが、原則は進入時右ウインカーである。
事務所で求めたAAの地図は素晴らしい出来であり、青年は自分の出身はスコットランドのダンフリーズであると誇らしげに言った。
サンキュー、礼品を渡す。美津子も納得ゆく渡し方だった。美津子のナビゲートよろしきを得て、AからMに乗れた。
皆すごいスピードで走ってる。ワイパーとウインカーの位置がハンドルの左右逆である。
インターネットの経験談を読んでいった甲斐があった。ウインカーはindicatorという。予備知識がなければ戸惑うだろう。
M56からM6への移行AAの地図に複雑なジャンクションの図が詳細に書かれていて、イメージしておくと便利である。
この地図に大いに救われた。小さいミスはあったけれども大きいミスがなかったのは夫婦の協力と地図のお陰である。
青年のいう北の町プレストンを示す標識に従う。
M6に乗ると4車線で広々して、早くも牧場が左右に広がる。
25マイル走ったところでサービスエリアで休む。バスのcoachというゾーンに停車してしまったが、第一段階は成功である。
コカコーラがおいしかった。心ウキウキの気分で36番インターまで来る。ここからはA590である。
湖水地方のウインダミアに行くにはケンダルの町を通過せねばならない。後でわかった事であるが、
我々の目指すホテルはケンダルからB道路を通れば行けたのである。
それは結果論。制限速度はM70マイル A50マイル B30マイルである。見渡す景色はどこまでも牧歌的である。
ウインダミアに来て路のベンチに座ってる男の老人にホテルの広告とと地図を見せた。
美津子はどうせ観光客だから知らないと見ていたようだが、このおじさんがどっこいご存じであった。
それでも微調整で、厚かましく、あるホテルの玄関につけてフロントの女性にきいた。
湖水のほとりは金曜の夕方で観光客でごったがえす。今までの閑静な牧歌調とは大違いである。
地図にくるっと回ったところにX印をしてくれた。事実そのとうりであった。至近距離に来ていたのである。
広告にあるように門を入り小道を進む。美津子が昨日予約したダニエル青年がいた。
自分でカーパークに入れる。ヤレヤレである。ウインダミア湖が部屋から見える。
時に3時、マンチェスターから2時間半で到着した。計器の表示は95マイルである。飲み物が部屋に運ばれる。
ウエルカムドリンクとお菓子。リュック姿で付近の散歩をした。見事な邸宅の中に小さい牧場もある。
樹木のたたずまいがきれいである。思い思いに趣向を凝らした個人の家の庭も興味がつきない。
ウインダミア湖のインフォメーションで資料を買った。ホテルの庭には湖水の見えるテラスで他の客が談笑している。
夕食は7時15分からで、食前酒の注文を聞きに来る。カンパリソーダを注文。食事のメニューを4つから選択する。
今日のホテルが用意したメニューで気にいらないと追加の料金を払うと別のコースも用意されている。
ここの経営者は余程凝った人らしい。ふと長谷工時代の蓼科のホテルを思い出した。本格的な食事でお腹は満腹した。
dining roomで隣の夫婦は見るからに立ち居振る舞いが上流らしい。
帰途私が「昨日はロンドンのオペラ鑑賞でワインを飲みすぎて寝てしまった」と言ったら大い笑ってくれた。

6月26日 6時に起きて早朝ドライブをする。ウインダミア湖の西をアンブルサイドまで運転した。
朝は空いていて気持ちが良い。ランアバウトの練習にもなる。湖水と付近の施設が調和している。
ホテルの方に戻り、小雨の中を美津子が初めてハンドルを握りドライブした。ケンダルへのB5284線である。
ここもため息の出そうな美しい牧場が続く。美津子に慣れて貰っていて良かった。28日に大いに活躍してくれる。
8時に朝食。他の客はゆっくりしている。26室の小さなホテルなので、サインの必要もない。
いよいよ湖水地方のドライブに出発。ピーターラビットの村を南から訪問する計画である。
ニューバイブリッジを経由して北に向かう手はずがどうもおかしい。
車を止めて引き返す。とあるB道路を湖水の西に添って、狭いが十分に面白い道を北上する。
著者ビアトリクス、ポターの家のあるニアーソーリーには行かず、ギャラリーのあるホークスヘッドの町にパーキングした。
2時間まで1ポンドの券を自動販売機で購入し、車のフロントガラスの内側に貼っておく。pay and exhibitである。
ギャラリーは金曜は休日。しかし土産物店や教会など風情がある。ここでアイスクリームを食べるなどゆっくりした。
グラスミア湖では散策路がわからず、ケズウイックへ向かう途中のペトロルステーションで初めてガソリンを入れた。
ちょっとしたコツでレバーを引くと満タンになれば自動的に止まる。事務所でスタンドの番号を言えば良い。
17ポンドであった。240マイルで24Lの計算。信号が少ないので良く伸びる。トイレもあった。
雄大な景色をA591で走る。町からは書物が勧めるバターミアへのB5289を狭い路だが、あちこちに自然に憩う人がいて、
我々も車から降りて、清流の美しさにしばし見とれた。途中ホニスター峠を登る付近が羊を囲う石垣が延々と続く光景で、
あたかもローマの遺跡を見てる錯覚に陥るという表現となる。石を作る製造工場があり、ここから下りの長い坂を下る。
天気があやしくなる。風が吹き、雨もぱらついた。十分湖水地方の景観も楽しめた。
ワズワースゆかりのコックマウスには寄らずに、ケズウイック、アンブルサイドを経由してホテルに戻る。
4時半、さすがに疲れて午睡した。ホテルの敷地にtarnという山の中の池がある。始めはcarpark and tarn とあったので
turnのスペルの間違いかと思ったがかなり大きい池で望めば客は釣りも出来る。
散策して再び食前酒、チンザノとギネスを注文。カナッペ風に工夫したつまみを持ってくる。美津子は鹿、私はダック、
美津子のEve*s puddingはリンゴですよと給仕が説明する。

6月27日 
夜中に雷が鳴り、雨が降る。初めての雨である。tarnを散歩する。卵料理も含めた朝食をとり、9時半スタート。
ケンダルの町で迷ったがM6のインター37番から乗ることに成功した。
サービスに入ると高速道路からかなり離れた丘の上である。料金が不要の国だから出来る事か。
道はCARLISLEという町からA74となり、それが整備されてM74に昇格し、
グラスゴー手前でM73へ右折してゆく。美津子のコース案内も慣れてくる。
M80からA91へ快調にスターリングの城へ近ずく、はるかに巨大な城が見える。
スコットランドでは有名な1297年のスターリングブリッジと1314年のバノックバーンの
イギリス軍を撃破した戦いの主人公の城である。時は2時。晴れてきた。
城に登ると周囲のパノラマの風景には息を飲む。
この美しい祖国のためにと多くのスコットランド人が血を流してきたのであろう。
城には中世の生活がジオラマで展示してある。
親切な説明である。カメを壊して叱られてる少年の姿まである。
battery,magagineの辞書を引くと前者は蓄電池のほかに砲列という意味が、後者には雑誌のほかに火薬という意味がある。
60歳にして、初めて覚えた。女王の庭は花も美しい。拍手の音がするので教会の中に入ると
女性の弦楽4重奏の妙なる音。スコットランド音楽大学の生徒による日曜の演奏に偶然出会わせたわけ。
4時半パースへ向かう。今日はホテルの予約もなし。6時ころに、町で美津子が通行人にIsle of sky tobyホテルの場所を聞いた。
わかりにくい英語やというて戻ってきたが、教えのとうりまさに橋を渡ると橋のたもとにホテルがあった。
朝飯つきで74ポンドである。駐車場に幸い空きが出来て入庫した。すぐ前の庭園がきれいで美津子は感激する。
そこそこ疲れているのでレストランに入る。herringというにしんを注文した。肉料理を食べる勇気がない。
じゃがいもが美味。いちごがおいしい。

6月28日 
晴天、Scottish breakfastを食べる。なにしろベーコンでも肉厚である。道中牛や羊ばかり見た。さもありなん。
9時半に今日の第一目標スコーン宮殿に着く。我々が1番で外人の若いカップルが2番目。
時間ちょうどに係員が車で現れる。駐車場を聞くとfollow me、車が先導して宮殿の庭園の長いアプローチを運転する。
まさに貴族の館である。現天皇が昭和50年代はじめに皇太子時代に訪問された写真がある。
マンフィールド伯爵の現在の住居でもある。一族の400年の住まいという。
スクーンの石という王位につく際にその石のうえで戴冠するという由緒がある石があったところで、
1296年にウエストミンスター寺院に移されていたものが最近エジンバラ城に返還された由。
我々はスコーンの庭でレプリカの石を見て、29日には実物をエジンバラ城で見れるという幸運に巡り会わせた。
ここから美津子が2時間も運転してくれる。A93をブレーマーという町までである。
美津子はここでfish and chipsじゃがいもを細く揚げたもの。日本のポテトチップではない。
日本のポテトチップはcrispという。ここからAAの地図で調べたクラディス城まで私が運転。
これほど北に来るとAAの地図も35ページから始まり、57ページに来てしまった。バンコリーを過ぎて到着。
城と庭園両方の入場券を求めてまず城を見た。ボランチアの女性が英語で説明するが分からない。
最近ナショナルトラストが買い上げたらしい。1702年の完成の城というより館の感じ。
ここの庭園もほれぼれするものであった。木のカットも面白い形にしてある。来た甲斐があった。
もう北部の都市アバディーンまで7マイルの距離であるが、エジンバラに8時には着きたい。
3時に美津子が距離計525マイルで引き継ぎ運転する。アルボースからは左に北海が光る。
ダンディーの町を過ぎ乗り変わる。セーフウエーの店でトイレを借りに美津子が先に入る。
私も車を路肩に止めて入ると店員の案内で美津子がトイレに行くのに偶然会う。
倉庫を通り、2階に上がると従業員でしか分からぬ場所にある。私が出てくるとモチロン店員も待ってて呉れる。
例の土産があれば渡したいとこだが手ぶらである。
「セ―フウエーは日本でも有名ですよ」とべんちゃらを言う。美津子は買い物をせずには悪いと義理立てしてジュース1本買う。
テイ川の橋で初めて80ペンス(¥160)の通行料を支払う。礼もThank you very muchと丁寧である。
どこかの国と比較してしまう。パースで朝の散歩に見たテイ川はここでは大きく河口を広げる。ここから道を東にとり、
セントゴルフ発祥の地アンドリュースに向かってしまう。美津子が「ゴルフ部に敬意を表するのね」という。
結果はこれで良かった。何せ日照があるので6時になっても気温は高い。一面の菜の花畑がきれいである。
もう牧場風景は飽きるほど見てきた。地図も45ページへ。エジンバラのcenter of townを頼りに接近する。
散歩の女性に城の方向のみ聞き、後はカンのみようやく城が見えた。今日のシェラトンホテルは城の西にある。
パーキングに聞くと正門は裏というので、一旦出て、荷物を道路で下ろし、美津子がホテルのパーキングに入れ、荷物を私が運ぶ。
このパーキングの番人が今回の旅行の最大の不親切マンであったろう。正門へのアプローチはすぐに西のスロープであった。
7時半到着。9時に今日は61歳の誕生日(日本時間)多田さんのガイドブックのアトリウムというレストランに行く。
私はbass(スズキ)の焼いた料理と上等のワインを飲む。
美津子はpasta panacotta.10時半、エジンバラ城の巨大な断崖の下をホテルに帰る。

6月29日 1階のテラスで食事。ハーツには車を10時に返す約束。9時10分に出て、BPのスタンドで満タンにする。
店員の女性が地図に駅までのベストウエーを書いて呉れた。ここまでは順調そのもの。
ところがウエイバリー駅が、駅舎が見えない。
後で分かった事であるがここは峡谷になっていて、地下1階に切符売り場などがあり、地下2階を汽車が走ってる。
美津子が探して呉れる間、私はバスからクラクションを鳴らされて、一方通行のプリンセス通りをわずかだが逆走する等して、
やっと停車する道を見つける。結果はそこが正解で、先にタクシーの運転手君が教えて呉れた300ヤード先に
ハーツの黄色の看板がこの時ばかりは光って見えた。美津子も聞いた人がyoung lady と冗談で言ってくれたかで満悦である。
時に9時45分、女性の係員が楽しんだかと言って傷を確かめることもせずに、私がサインするというのに必要ない。
明細控えを呉れててを広げてeasyという。拍子抜けした。250ポンド。ヤレヤレ。
走行距離650マイル、3割は美津子の運転であった。20ペンスの有料トイレに行く。
台所のような高い「流し」があって水が右から流れてる。そこで小水をするらしい。
ほかの客が別のラインでしてたから判ったが、1人ならこれで良いか戸惑っていたろう。
考えて見ても大勢なれば一番左の人は汚いではないか。
午前10時、日本では夕方6時なので、美津子に公衆電話から須磨に電話したらという。
ロンドンで買った10ポンドのテレホンカードがある。00―81―でかけると父上が出られた。
10ポンドから数字がへってゆくのが見えるが
美津子が切るとわずか2ポンド足らず。ホテルからかけるのと大違いの安さである。<プリンセス通りで買い物。
ジェナーズではおばさんの店員からTCに店名も記入してと言われた。ローズストリートに入り更に買い物。
ホテルに戻りお茶ずけ。これで胃が休まる。2時に要塞のようなエジンバラ城へ。
私は通常6、5ポンドであるがシニアーシチズンに入るか聞いてみた。OKである。5ポンド。
特異な岩盤(3億4千年前の火山の爆発で形成されたという)の上に立つこの城の変遷は11世紀から始まる。
悲劇の女王メアリースチュアートが16世紀の終わりに追われるのもこの城である。すさまじい歴史を持つ。
現在はスコットランドの国のシンボル的存在である。例のスクーンの石も見た。
ホテルでシャワーを浴び、5時に明るい町に出る。ジェームス通りから中華料理の店に入る。
広東料理の店「金龍」、小姐が日本人も中国人もご飯を食べる。ご飯の注文が遅れればサービスが遅くなるという。
妙な理屈だが、卵のご飯を注文した。昼のおかゆのせいで、お腹が減ってる。鉄板焼きなどおいしく頂いた。

6月30日 9時過ぎ、タクシーでホリードール公園をお願いする。丘の上の広漠たる公園の由。
9時半に宮殿開門だからちょうど良いと思った。我々がテニスのニュース位しか見てない証拠であるが。
当地では1707年の併合以来初めてというスコットランドの議会開設という歴史的行事が7月1日に行われ。
エリザベス女王が滞在中の宮殿である。7月6日までは公開しないというので、同じタクシーでホテルに戻る。
運転手も気が利かない。我々が情報不足人間だった。ローズ通りの昨日の店で土産買いたし。
11時18分バスで空港に向かう。3ポンド強。エジンバラ空港で美津子が日本人夫婦と話ている。
明石からの夫婦で、ロッホローモントの観光をされたらしい。
13時20分にJETSTREAM41という30人乗りプロペラ飛行機でカーディフに向かう。
乗客は14人。高度は1万mを飛ぶ。空港には吉田夫人が出迎える。初対面である。
自動車でマリオットホテルにチェックインする。98ポンドの特別料金にして
貰ったので、奥さんにも見てもらう為に部屋でティータイム。奥さんは乾燥してるので喉が乾くと言われる。
近所のスランダフ教会までドライブ。第2次大戦後に復旧したらしいが、格調のある建築である。
エプスタインの奇妙なキリスト像が目玉らしい。聖堂の上に首を吊るように展示してある。
この旅行、我々のツーショットの写真がない。それほど近くに適当な人がいなかったという事か。
7時に吉田君も現れて、タイ料理の店でご馳走になる。例のホーンナムユーティーナイ(トイレはどこですか)も使えた。
愉快な一夜だった。この夜胃ぐすりを飲む。

7月1日 
我々のみでカーディフ城見学。庭にノルマン時代の要塞も残されてるが大部分は19世紀のビュート侯爵の館である。
部屋ごとに趣向をこらしている。子ども部屋にはグリム童話の世界の壁画もある。
ここではイタリア人の観光団の陽気さが面白かった。
ニュージーランドから来て、娘さんが群馬県で英語の教師をしてる夫人に出会った。雨も上がり回復模様。
11時半ホテルに吉田夫人が来て下さり、40マイル北のビーコン国立公園に案内して貰う。
途中自宅の外観を見せてもらう。会社の社宅として購入した由。霧に煙であるが、
ウエールスは今でも表示が英語とウエールス語の並列標記であるのが面白い。極めて広大な公園である。
車の中で奥さんが「小麦や野菜のなりものをみかけない」といわれたのには私も食卓を賑わしている
食物をどこで作っているのだろうと思っていただけに面白かった。昼食は手製のお握りを頂いた。
3時25分のインターシティーの1等に乗る。ゴールドゾーンというのがある。2等はブルーゾーンである。
前にテーブルあり、座席が広い。62ポンドで普通36ポンドより高いが価値がある。
紅茶くらいは無料だそうだ。私はギネスを飲む。
途中コッツウオルズの風景がが見れる。ホテルの近所のイタリア料理を食べる。11時に荷作りをする。
7月2日 例の駅前のインド人のスナックに朝食を食べに行く。コンチネンタル6ポンド。
バターを塗ったパンにジャム。これが紅茶に合う。今日はチェックアウトしてテムズのボート遊びである。
ビッグベンからセントポール寺院、グローブ座などが見える。もちろんロンドンブリッジも。
7月4日は英国に遊んでいた先妻の義父の命日である。今年は7回忌のはず。ロンドンの空に冥福を祈った。
グリニッチでいったん下船したが公園のシャトルバスはすぐ引き返すという。12時半には波止場に戻らねばならない。
ここでは子午線0という町だから西暦2000年のミレニアム行事が目下の最大関心事である。
ビジターセンターでトイレの場所を教えて貰う。波止場のは有料で列が出来てる。テムズバリアーまで下流に下る。
1983年にロンドンを高潮洪水から守るために出来た堰で、金属製のおもしろい形をしている。
1984年に役にたったそうだ。3時にトラファルガー広場のドイツ系の店で私はハンバーグを注文した。
最後にリージェントに行くが美津子の黒いスカーフを買ったのみ。
ラッシュの満員の地下鉄でホテルに帰着。ロビーでジュースを飲むとこれが2ポンドの安さ。
爽やかな思い出となった。タクシーで空港へ。渋滞もなくわずかに34ポンドでターミナルに着く。
相変わらず自宅用のお酒を買い、帰国の途につく。
恭子が1日にロンドン大学に着任したそうである。まさに入れ違いであった。

                                               完
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