2003.1
タイ国境への旅
昭和32年の春に京都大学の宇治分校時代に宮本家に下宿した仲間との交流である。
3人は何れも法学部で、岡田君がJAICA(国際協力事業団)の活動で01年の11月以来
チェンマイでタイ国の開発のオルガナイザーとして活躍してるところに岡山に住む福渡君と激励に訪れた。
事前の予備勉強はミャンマー、ラオスについて蔵書を復習した。
ニュースでタイ在住日本人の数26,000人はシンガポールを越えた事を報道していた。
1月28日は天気予報の割には好天でさして寒くもない。福渡君も前日大阪のシーガルホテルに宿泊しての参加である。
9時過ぎにHISのコーナーで彼と落合い、JCBの休憩室で常夏の国へ旅装を整えた。
私は胃の調子を整えるべく、先立つ2日はノンアルコールで、休憩室でもジュースやお茶で喉を潤した。
タイ航空、日本航空の共同運行のフライトはバンコックまで約6時間である。
道中福渡君とのあれこれの会話で退屈せずにBKKに到着した。3万円を両替した。
レートは1B¥2.8である。従って手元に10,566Bが用意出来た。
96年に訪問した際には¥4.2であったから、98年のアジア通価危機がこの国をいかに激しく襲ったか理解出来る。
付加価値税は7%。滞在中たいして気にならなかった。内税が多いのかもしれない。
チェンマイのアマリのホテル代も内税の計算で1,350Bであった。気温は30度。
チェンマイへの連絡便は出張から帰る岡田君と同じはずだが、機内に見当たらず。
後で空港で聞いたら我々の後部の座席であったらしい。
空港で彼の日本航空時代の知人である五藤、河野、江島各氏を紹介された。
70歳、66歳、62歳の順である。アマリリンカムホテル(96年に宿泊したオーキッドホテルの西に位置する)
で旅装を解き、ホテルの担当、加持さんという女性に日本から持参した女性誌を贈呈した。
岡田君への土産を持参して徒歩で5分の彼の下宿に向かう。
彼の住居は12階建の大きなビルの8階で、部屋は非常に広い。
ベランダから標高1600mのステープ山が西に雄大な姿で見える。
ジャイカは良い住居を提供して呉れるものだ。同じビルの階下にあるレストランで食事をした。
ウエイトレスに双子の姉妹がいる。
ソンテオという乗り合いタクシーは面白い。止めるには客は手を下げて止める合図をする。
助手席と後部座席に8人乗れる。原則1名10Bであるが交渉で距離に応じて付加される。
相乗りで、同じ方面に行く。最初の夜でもあり、ナイトバザールの近所の「チエンマイの夜」というクラブに行った。
日本人で満員である。ボトルキープも日本人ばかり。ホステスが客一人づつに付いて会話が出来る。
私についてくれた娘さんはファーンさんという。「空」という意味だそうである。父親が3歳の時に死んだらしい。
勘定は620Bに、チップ100Bをはずみ、時間も日本なら午前2時過ぎ、いささか疲れてるのでホテルに帰った。
日本人のプレゼンスが目立つ。タイ語は10がシップで20が例外的に
イーシップ(2はソン)、30がサムシップ、40がシーシップ、50ハーシップ、60ホックシップ、
70ジェットシップ、80ベートシップ、90ガーウシップ、100はロイ、200はソンロイである。
挨拶は「今日は、さようなら」ともサッワデイ、クラップ。「有り難う」はコープクン。
「トイレはどこですか」はホーンナム、ユーティーナイ。「高過ぎます」はペーンパイ。
計算機を持ってればこれでそこそこのコミュニケーションは出来る。
29日 夜明けは6時半。ホテルの庭園はトロピカルで素晴らしい。プールもある。
ホテルの朝食は日本の味噌汁もある。総勢6人でソンテオを借り切りでチャーターしてチェンマイ大学に行く。
ジャイカで来ている農学の太田さんという教授が案内して呉れる。農業の国なので農学部が重要だそうである。
1学年で5,000人の生徒がいて、昨日王女から卒業証書が手渡されたらしい。
帽子をかぶった卒業生があちこちキャンパスで写真を撮ってる。我々も女子卒業生にモデルになってもらい、記念撮影した。
構内の大きな池からステープ山を望む風景はのどかである。
車で標高1,000mのモン族の集落に行く。ドイステープ寺の正門を通り、更に30分峠を越える。
モン族は10万人いて中国系らしく商売が上手という。岡田君が主人を知ってるという店で土産物を購入した。
ポシエットの柄がユニークであった。息子の嫁さんが岡田君の顔で120Bにしてくれる。
この店の裏に小学校があり、売り上げの10%は学校に寄付されるという。105歳のお爺さんが軒先で悠然と座ってる。
ワイの挨拶をしたら挨拶を返して呉れた。昼食は小屋のような食堂で当地の麺を食べた。
岡田君は調味料と麺を箸で四方から混ぜて「こういう食べ方をするとタイに慣れたということよ」という。
正直プラスチックの食器で美味とは言えない。タイ国内の少数民族は70―100万人と言われていてカレン族が最大である。
他にアカ族、リス族、ヤオ族(漢字を使用している)など。
麓に居住して文明の恩恵を受けてる人から国籍もなく行政サービスを全く受けてない人まで千差万別である。
多くは中国の雲南地方から流れてきた人である。帰途王家の離宮のプーピン宮の側を通ると武装した複数の兵士が護衛していた。
帰途は夕方のゴルフの都合もあるので急いで14世紀末創建のドイステープ寺に行く。
ケーブルカーが96年では5Bの寄付で良かったものが今回は20Bで有料である。見晴らしがとても良い。
チェンマイの東を流れるピン川は霞んでいた。ピン川は最終チャオプラヤ川に合流するという。
岡田君が所属してるランナーゴルフクラブに河野さんを含めて4人で訪問、
他の2名は昨日のホステスを案内役に頼んで寺見物である。
クラブの入会金は11万円したそうだが、今は13万円位に騰貴してるそうだ。
我々は9ホールだけであるが、キャディーを各自1人つける。その費用は僅かに75B(¥210位)である。
亜熱帯の雰囲気を満喫しながらのラウンドである。芝は日本と比較して粗い。スコアーはキャディーがカードにつけて呉れる。
どのキャディーも似てるので自分のクラブバッグについてる女性が頼りである。
私は貸しクラブなのと久々のプレーでようやく4ホール目で調子が出てきた。第5ホールのロングホールで漸くパーを取る。
第8ホールでバンカーに入ったボールの処理が悪く、ついに60であった。
河野先輩(京大工学部卒)は最終ホールで2打を前の木を避けて見事なスライス球を打たれ、
その勢いでとうとう20mのチップインパーを取られた。これは感動的なプレーであった。
結局河野さん52、両君仲良く53であった。費用は貸しクラブも含めて740Bであった。
キャディーには別に100Bの謝礼をする。時間はもう5時半を過ぎている。ホテルでシャワーを浴び、海鮮料理の店に行く。
今日は岡田君の知人の別のゴルフ組み9名が到着である。それとジャイカの女性の新旧交代歓送会がある。
岡田君としては一挙にこの3つのグループをさばこうという趣旨である。
ジャイカ組みは15人位で昼の太田教授も参加されている。岡田君の顔の広さはここでも絶大である。
9人のリーダーは辻さんという一人旅行社を経営されてる仁である。殆どが台湾の高雄に縁のある人たちと聞いた。
ジャイカの一人で、65歳のMr.くらまたという仁(奥さんは日本在住)、江島さんとで2次会のビールを飲み、
1時間で福ちゃんと80Bでトゥクトゥクに乗り、涼風に吹かれてホテルに帰還した。
30日 9時前に我々国境に行く「岡田ツアー」は2台のミニバスに別れて出発した。
岡田君のタイ語の家庭教師であるスンニーさんも同乗した。1号車はガイドの林(リン)さんという女性である。
車とガイド費用は合計1,000Bである。日本のODA総枠は約1兆円であるが
ジャイカは内1,850億、シニアーボランティアは58億をマネージしてるらしい。
福ちゃんは今年10月からラオスに行く色気が十分ある。道路の舗装は素晴らしいが、これも多くは日本の援助らしい。
こういう前線に来てると日本の国内の悲観ムードがおかしい位に日本はまことに頼りになる経済大国なのである。
この日から私が6人の会計幹事を引き受ける。10時半にメーピン象キャンプに着いた。ここで象のショーを見た。
96年には西のメーサイのキャンプを見学した。逆立ちやテープの音楽にあわせて足をあげて左右に振ってユーモラスに踊る。
ハーモニカ演奏、ボールを鼻でコントロールして大きな足で上手に蹴る。鼻の先に絵筆でキャンバスに上手に模様をつける。
マットの上に観衆の外人が寝ると象は足をお腹の上に浮かせて按摩の真似をする。
その外人の男性はショウマンシップがあり、色んな仕種で観衆を沸かせた。
有志は20分、300バーツで象に乗れる。福ちゃんは乗って大満足。
岡田君によれば最大では280頭の象が集まったのを見た由。
象はタイ国内で1,000と聞いていたが実際は3,000頭はいるのか。重さ3tの象は300kgの食物を食べる。
本来は木材の搬出を手伝う仕事がメインであったが、木材が伐採禁止となり観光象となっている。
夜はジャングルに戻るのはメーサキャンプと同じ。
車は北上して国境近辺を流れるコック川まで来た。運転は前の車と車間距離を取らずに走るので緊張する。
ダートン村のコック川の川べりのレストランでヴァイキングの昼食を楽しんだ。山の向こうはミャンマーである。
代金は260B。胃の調子も良くなった。
更に車は国民党の残党が1949年に逃れて住みついたメーサロンの山あいの村に来た。
中国語で「美斯楽」とゲートに書かれてる。ここで彼らがケシを栽培し始めたのが根源である。
昔は野生の象もいたという。秘境であるが土地柄は明るい。ここは中国語が通じる。
纏足をした87歳のお祖母さんも中国語が話せる。1983年にタイ政府の説得で投降し、国籍を与えられた。
お茶を買った。記念に台湾の鳥龍茶を180Bで、緑茶を40Bで求めた。最終の目的地ドイトンに日暮れに到着。
この日は朝から420kmのドライブだった。
この国境にある施設は1990年に90歳で亡くなられた皇太后が
麻薬のケシを栽培してる山岳民族の転職に助力されて1998年に財団を設立されたもの。
元全農のジャイカの伊藤さんはもう当地15年になるそうで、奥さんもタイ人である。家庭内の会話は英語の由。
見事な花の庭園があり、観光収入を得ている。従業員1,250人のうち1,000人は山岳民族。
主として貧しいアカ族である。ケシから転作したコーヒーは100万本を農民に年1Bで貸与、収穫を買い上げる方式である。
他にリンゴ、梨などを栽培する。年に3万Bかせぐ農家もいるので、
標準以上の豊かさである(大学出初任給が年6万Bの国である)。
ここは飛行場のあるチェンライから車で1時間で来れるのであるが、観光業者にリベートを払わないので穴場となってる。
Doi Tung Royal Village,ドイは山、トンは幟の意味の由。実のならないケシの花が花壇に植えてある。
我々の宿舎はツインで2,000Bであった(定価は2,500Bらしい)。シャワーも付いてる。
夕食はワインも出て340B支払った。ポルトガル茸を揚げたのがビールのつまみになる。
夜のTVではタイの女優がカンボジアの遺跡のことを侮辱した発言をしたとかで
プノンペンのタイの大使館に放火した映像が流れてる。
31日 山の夜明けは7時前。周囲を散歩した。従業員にワイをして挨拶する。必ず返礼する。
女性はサッワディー、カーである。葉の赤い美しい木があり、
後刻伊藤夫人のリリーさんに尋ねるとクリスマスツリーというらしい。
11月から紅葉するからだろう。垂れ下がったラッパのような花(天使のラッパ)も沢山咲いてる。
朝食後に現ラマ9世の母親の皇太后のFlower Garden内を見て回る。「スワンメイファールアン」。
御当地ではメイは「母なる」の意味である。ファーは空、ルアンは大きなという意味。メコン川も厳格にはメイコンである。
王室の居間では靴を脱ぎ、帽子も脱ぐ。庭園は傾斜した斜面に美しく広がり、ウイーンの宮殿を凌ぐ美しさである。
護衛の2名の兵士と写真を写した。
黄色のグラジオラスのような高い花はソナップドラゴンという。大きな木に寄生したように無花果(いちじく)があった。
ガイドの林さんによれば中に虫がいて食べられないのでタイでは「中味のない女性」を「いちじくみたい」と表現するそうだ。
皇太后の遺品を展示した記念館を見学。次いで織物工場に行く。
女工さん100人で売り上げ年間6,000万円、一人月5万円の売り上げである。
タペストリーや衣服、ランチョンマット等多数。伊藤さんに協力して皆土産を購入した。
私は660Bでランチョンマットを求めた。ドイトンに別れを告げ、メーサイに向かう。北にサイ川が流れてる。
寺院風の建物があり、見晴らし台に登る。さそりの大きな模型がここの象徴である。
サイ川の橋を渡ればミャンマーで、50B払えばタチレクの町半径5kmの行動は自由。
ミャンマー側には輝くパゴダも見える。福ちゃんによれば本当の金箔が張られてるそうだ。
我々はいよいよメコン川沿いのレストランに入った。狭義のゴールデントライアングルである。
ガイドブックでおなじみのメコンとミャンマーから流れてるルアック川が合流する地点である。
食後に30分300Bで快速ボートに乗った。救命胴着を着用。快適な気分である。
10分でラオスの国旗のある対岸に上陸。入国料は20B。
土産物屋で絵ハガキ12B、切手30B(つまりタイの倍の価格)でポストから美津子宛ての便りをした。
地図ではパンフェイサイの近所であろう。メコンの中州はラオス領である。
此れは仏領のころに当時のフランスとタイの協定が未だに生きている。物売りの女性に20Bあげて無理に記念写真を撮った。
商品を買ってあげれば良かったといささか反省する。
東南アジアで日本は最大の先進国であるが大きな態度は慎まねばならない。「目は高く、頭は低く、心は広く」の姿勢が肝要。
考えて見れば終戦後円が¥360時代にアメリカ人は日本の土地を買いあさるような事はなかった。
80年代の日本の行動はいかにも成金的であった。帰途建設中の麻薬博物館が遠望出来た。
現在も小規模のがあるらしいが、岡田君は見る価値なしという。夕方6時半にピン川ほとりのレストランに到着。
岡田君のもう一人の女性語学教師およびその友人夫妻で、主人はハワイ出身のマイクという空手教師も参加した。
豪華に夜の情緒を味わった。440B。日本を出てから食欲があるわけでもないが、何でもおいしく食べられる。
1日 本来は花祭りのはずだが1週間延期されたという。このあたり岡田君にうまくはめられてるのかもしれない。
私がこのツアーに参加した狙いの半分は花祭りだった。
チェックアウトして10時に集合してまずホテルの北にあるワット・チェット・ヨートに行く。
「7つの塔」という名称でインドの模倣。創建は1455年。1477年に菩提樹がインドから移植されてる。
今日は中国の春節なので中華街に行った。800Bでソンテオを貸し切る。この運転手さんの顔つきが良い。
獅子舞や爆竹、小規模であるが華人の喜びが伝わる。河野さんの希望もあり、中華料理店に入る。
ビールはもちろん380Bの紹興酒も注文して我々もお祝いした。ウエイトレスは中国語より日本語が通じる。
1時からは按摩(タイ式マッサージ)と観光組みに別れる。福ちゃんと五藤さんは後者。
2時間で200Bという。岡田君ならではの料金である。個室でなかなかの技術である。
シャツはおろかパンツも脱ぐ。岡田君の助言でそうしたのだがこれも彼にはめられたらしい。
後刻大笑いとなった。もちろん備えの白い上着、黒の下穿きを着用する。100Bの心つけ。店の名刺を貰う。
朝10時から明け方2時まで営業している。岡田夫人もいたくお気に入りの店。
それからソンテオで40分、市の東部にある温泉もあるリゾート施設に行く。
庭園には温泉が吹き出てる。温度は100度あるらしい。60Bで出来る入浴はしなかった。
市内に戻り、オーキッドホテルの隣の当地最大の百貨店に行く。我々は帰国するのに8時のリムジンに乗る必要がある。
最後は私の希望でタイスキの店MKに行く。日本航空OBの3人はさすがに語学も堪能の紳士である。
おかげで気持ちの良い旅が出来た。ニュースでは大阪は29日に零下2度を記録したという。
バンコックから4時間45分のフライトである。飛行機の中で冬姿に着替えた。7時20分着。
8時5分のバスに乗れた。尼崎駅で福ちゃんが忽然と見えなくなったが、
芦屋駅で後続の姫路行き快速電車に同君が乗っていたので挨拶出来た。岡山だから緑の窓口に直行したらしい。
考えれば当然の行動である。時間は万事順調で美津子が9時半に駅に迎えに来て呉れた。
今日は京都競馬開催中、ネットで1R(10.05)の投票に間に合った。
以上