中国  長江三峡下り 

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2002年3月17日~22日(中国旅行記)

 序説 長江三峡下り
 今回の旅行は1月に阪急交通社に申し込みしたものの、私の胃の調子が2月中グズグズしていて
3月の12日に竹谷先生での精密検査が異常なく、17日の参加にようやく間にあったという事情があった。
節制のおかげで血液検査はコレステロール、中性脂肪、尿酸すべて合格点である。
庭仕事でひざの筋を痛めて、これが問題。お灸持参である。
15日に元町の桜が満開で、帰国までに桜が散るのか心配したが、これは杞憂であった。


17日  
10時40分に出発、快調に空港に近づいたが泉佐野南の出口で車の長蛇の列。
後で知ったこことであるがここに最近若者相手のアウトレットが出来た由。
結果的に横入りさせて貰って列に並べたという次第。何事も時間はアローワンスは見ておかねばならない。
12時20分に指定の場所に行けばもう機内への荷物を預かって呉れた。
添乗員は斎藤さんという若い女性で、この道8年という。
広州では28人の団員の内2名の査証が有効でないので驚いたが¥4,000(¥1,000は写真代)で簡単に取れる由。
今後はこれにすべし。
Land Mark Hotelの部屋割りもスムースで早い時間に窓から珠江の眺めが楽しめた。
例の如く空港で購入したオールドパーの小瓶もある。 

18日
広州は人口は650万人、街は亜熱帯の雰囲気である。越秀公園の前を過ぎる。
8時20分の重慶行きの飛行機は満席に近い。重慶は昔、国民党の本拠点があり、
日本も昭和17年には空爆したところである。眼下に見る景色は山の多い風景。嘉陵江と長江の合流点に町がある。
政府直轄都市で、エリアーが極めて広いので人口は3000万もある中国最大の都市という。
空港で6元の地図を購入する。大足行きのバスの進路を追う。大都市だけに高速道路も充実している。
のどかな農村の風景に心がなごむ。地元の添乗員の陳さんは神戸商船大学に93―97年留学したことがあり、
大阪ガスに勤務して仕事がきついので退職して地元の旅行社に勤めている。愛嬌がある。
大地震には三宮で新聞配達していて遭遇したという。一人っ子政策の違反は6000元の由。
年1万元の収入の農家でも副業してるので、罰金を払ってでも労働力を確保したいという。
周囲のため池にはどじょうもいるという。又、村で役人を接待する麻雀処のような施設もある。
氷川市を通過して、郵亭で一般路へ。地元の費用で舗装した道路は地元に通行料を支払う。
家鴨が道路を歩いてるが車でひくと賠償で200元取られるらしい。
重慶から約120kmの大足のホテルで四川料理が食べられた。麻婆豆腐のみ辛い。
他の料理の味は意外に普通。大足の地名の由来は環境が「大満足」ということらしい。
郊外の宝頂山の石刻は世界遺産である。大型バスからミニバスに乗り換えて移動する。
1174―1252年の制作で最初は趙智風という人の指導で長い期間に儒教、仏教、道教のミックスした様々の彫刻が見られる。
文化大革命で破壊の像もある。南の北山石刻は唐時代892年からの制作で歴史が古い。
地元の偉君靖、王建永という2人の勢力争いから勝利を祈る造像が最初である。
有力者の家族を彫った俗な像もある。この付近には他の石刻もあり、見て歩くには数日を要するらしい。
帰途のバスではトイレ休憩の氷川で私が地元の名産か陳さんに確認して皮蛋を20元で求めた。
そうするとかなりの人が追随して購入した。群衆心理である。嘉陵江大橋を渡り、江北区の料理店に入る。
紅黄路の南である。土産店で美津子は香木を求めたが、売ってなかった。
ここから中之島(厳密には島でないが)を通過してホリデイインホテルに到着。

19日  
中之島の先端の埠頭から8時に乗船する。「北斗号」4000tである。
94年に就航した。長さ87m、幅16m、乗務員は98人いる。我々は405号室で、バスタブもある。
10時に5階のロビーで孫先生の「書道教室」があった。始めに「龍」の字の古代からの変遷の記述、
次に李白の有名な「朝に辞す白帝彩雲の間」で始まる詩の楷書の字、
次いで希望者の姓名から先生が指で詩を即興で作り書いてくれるというので申し込んだ。
「小泉仁郎」の4字を使って草書で7言4行の詩を書いて現実に記念品として呉れた。
軸装もしてあるので和室に丁度良い。寸志として100元を支払う。良い記念である。
11時から室内で「三峡」の説明TVがあったが、我々の部屋のはつぶれていて取り替えてもらったものの半分しか見れなかった。
昼過ぎに操舵室見学。航路を示す標識が小船に乗せてある。2時半豊都にて下船。丘さんという案内人が鬼城の説明をしてくれる。
ここは往復ロープウエーがある。まあ、閻魔さんの城である。天気は快晴。蘇芳の花が美しい。
道教の碑で口を中心に「善」「唯」「呈」「和」という漢字が取りまくのがある。
「吾」「唯」「足」「知」とどう違うのか。ここでみやげに「迷魂茶」120元とプーアール茶100元を買う。
兎に角来年以降は沈没する村である。感傷を誘う。
6時半から5階ホールで歓迎会。飲み物はロハである。

20日  
前夜就寝してからはずっと雨が降りつける音がしていたので朝早くデッキに出ると案に相違して晴れていた。
素晴らしい眺めである。寝ている間に「くとう峡」の入口まで来た。
今日は三国志の劉備が死んだとされる白帝城への登山である。
リュックに登山靴。私の膝はこの朝痛いと思われるところに灸をすえた。そのせいか痛まなかった。
今まで急所を間違って治療してたのか未だに不明。下船してから階段800を30分で登る。
かご希望の人は200元出せば良い。ツアーの最年長は81歳の華道の先生である。
娘さんがカゴ、親が歩くという奇妙な風景となった。我々は軽く汗をかいた程度である。
頂上から眺める長江は絶景で「き門」という。川幅が56mで長い長江でも最短らしい。
「き」という草冠の難しい字は自宅で調べると「一本足の獣」という意味もあるが、
v字という意味もあるので、どうやら後者と思う。
美津子が前日に作るジャスミンのお茶を持参する。ミネラルウオーターより口あたりが良い。
場内には三国志の劉備の末期の様子がジオラマで人形で示されてる。
乗船後は3階の前方デッキで峡谷通過の説明がある。
両側の風景は悠然としていて飽きない。巫峡は巫山12峰という秀峰がある。すでに湖北省に入る。
午後3時に小さいボートでオプションの「神農峡」ツアーに参加。
一人¥5000である。葉さんという女性の案内で15人のボートが出発、
驚いたのは草鞋の男性が4人でロープで引っ張るのである。舵とりと後ろから押す人と6人がかりである。
これらは土家族の人たちで巴東という町から8時間も奥からここへ稼ぎに来ると言う。
昔の土家族の嫁入りの話は花嫁が泣くそうである。花嫁は兄が背負って行くとか。
幽遂な峡谷である。何より急流で引っ張り、川底を長い棒で押す人pたちの掛け声が迫力に富んでいる。
絶壁の間に棺桶が数個ある。少しでも天に近いところに置くという願いか。どうして置けたのか。神秘に包まれてる。
葉さんが始めに解説した時に「上流に神農渓(カンノケ)があります」と言ったように聞こえた。笑い話である。
1時間遡って帰途は楽々。船頭さんが土家族の歌も披露してくれた。最後は雨が降ってきたが美津子も大満足の一時であった。
葉さんも漢族の歌を歌う。我々の代表は遅越さんという女性が「幸せなら手を叩こう」を。
(三峡ダムは孫文が言い出したプロジェクトで92年から97年までが1期、98年から03年が2期で、09年に完成する。
海抜176mまでが水没する。各所に水位の看板がある。完成後は万t級の船が重慶に入れる。
電力は860万kwで工費は2000億元であるが98年の洪水で工費に匹敵する被害があった由。
立ち退きは120万人で国からの移転費用の補償は3分の一とか。)
部屋に帰って按摩を予約した。45分で180元である。私の係は女性のQiuさん。頭から足の先までなかなか上手である。
はまだ上海には行ったことがない。夜は船長の挨拶もある夕食。20日が誕生日の人もいてケーキが送られた。
隣の台湾人グループにも該当する女性が私の後ろにいた。「快楽生日」という。
今回の旅行での中国語会話力は確かに向上している。
午前中に質問したら台湾のグループは桃園県からの人である。大陸の中国人はどういう印象を持つであろうか。
美津子も最後のアトラクション前に按摩をして貰った。船は西陵峡からダムの現場を通過して停船する。
午後9時10分にすべて船内でサインした勘定を支払った。ビール5本90元と按摩360元である。

21日  
船は僅かに走って宣昌で下船。
ここは葛州ダムである。ボルボのバスで菜の花や紅白の桃が咲く平野を武漢まで3時間強走ることになる。
周囲の池には上海蟹、やスッポンの養殖が行われてる。長時間だが飽きない眺めであった。ガイドは何さん。
彼は貿易やダム工事の翻訳の仕事をしている。漢水と長江がここで合流する。
古来武漢三鎮というが、武昌は政治、教育の町、漢口は商業、漢陽は工業と色分けされてる。
人口は800万人で、重慶、上海1300万、北京推定1000万に次ぐ。我々は漢陽から武漢に入った。
昼食後は由緒ある「黄鶴楼」。ここは昔、望楼としてスタートしたが、唐時代から各時代に作りが違うのが面白い。
全て模型が展示してある。現在のは1985年に出来た。
ここから見える大橋は1957年に出来た中国としては長江にかかる古い橋である。
蛇山の緑に連なる。次いで漢陽サイドにある清代からの禅寺「帰元寺」で500羅漢を見た。
美津子は59歳、私は64歳に相当する順番の羅漢を見て、今年の運勢を占うという。私のは杖をついて思案顔である。
美津子のは穏やかな感じの表情。最後は昨年10月に開館した市立博物館。王学芸員が早口の日本語で解説して呉れる。
トルコ石は実はトルコで加工技術が優秀なので命名されたが原石は武漢やイランで産出されるらしい。
同行の金沢から来た川村夫妻はここで紫檀の家具(数個の工芸品付き)を58万円で購入した。即決したのが面白い。
この夫妻は中国が初めてである。確かに博物館が売主だけに「お墨つき」と言えるだろう。
武漢の飛行場では地図を2枚仕入れた。北京のほうで砂嵐があったという知らせ。
(韓国の学校は史上初めて黄砂で休校になったと報じられた)

22日  
今回は万事旅行社任せ、気楽に旅出来た。
独語の佐藤元教授夫妻始め教養のあるおとなしい人が多かったという点もある。
斎藤さんも要領良く捌いた。大阪は雨であった。

23日  
朝NHKのニュースで政府間で円と元の交換が自由になると報じられた。
30億ドルという枠があるらしいが、人民銀行の総裁が調印のために来日するという。

 孫徳平先生の詩を記そう 
  小橋流水桃李紅
  泉眼雨後掛瀑布
  仁愛慈善玄徳魂
  郎行千里恩義随 


(完)

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