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※ 日本語あれこれ ※ 私は学校教育で英語とフランス語を習い、 定年退職近い1996年から中国語を大阪の塾で学習を開始しました。 中国の復旦大学や上海師範大学にも短期ですが留学しました。 2004年にHSK4級を取得したのが最高で、 以降は学力は低下するばかりです。 外国人の皆さんが日本語を習得される苦労は良く理解出来ます。 正規の授業とは別にこういう話も参考になると思い記述しました。 1) 「大半の人がそう考えてます」と日本人が言う場合、 「大半」とはおよそどのくらいの割合を言うのでしょうか。 答えは7-9割です。一方中国語には「大半、多半、一半、小半」があり、 「大半」はおよそ9割「多半」は7割くらいを示すそうです。 漢語を輸入した日本はどうして多半を輸入しなかったのでしょうか。 曖昧さを好む日本人には「大半、半分で十分」だったのでしょうか。 2) 「よろしく」は日本人が多用する言葉です。 これも自分で判断せずに相手の判断に委ねるといえば、 相手を尊重してるようにも解釈出来ますが、 反対に自分の責任を相手に転嫁して逃げてるとも解釈されます。 しかし曖昧さを美徳とする日本では「よろしく」は大抵の場合、 使って問題の無い言い回しです。 3) 「やはり、やっぱり」はどうでしょうか。 「予想どうり」という意味で使われることが多いですね。 日本人は予想することが好きなのでしょうか。 私は心の底流で「日本人は島国で、常に周囲の人の意見に気を配ってる民族」 と思ってます。この見方からすれば「やはり」は自信のある予想では無くて、 「あなたをはじめ皆さんがそう思ってるようにやはり」 という感覚で使われてると判断して良いのではないでしょうか。 4) 「どうせ」は「どの瀬」から変化したものでしょう。「どの道を通っても」の意味です。 これに続く言葉は否定的な判断、たとえば「よくならない」とか「変化はない」が続きます。 日本人の諦めの表現に通じます。 諦観は日本人の特性です。地震が多く、国土が狭くて急な斜面が多いので洪水に見舞われます。 台風もしばしば災厄をもたらします。 そうした場合「あきらめる以外にない」のです。 さりながら現実を直視していては切ないので「せめて」という表現が出てきます。 「どうせーーは駄目でもせめてーーくらいは可能でしょう」という心情です。 こういう心情を外国人に説明することは非常に難しいので 正規の授業では説明しないのでしょう。 5) 「いい加減な人だ」と他人から言われれば誰でも不快な気持ちになります。 ところが字義とうりで言えば「いい加減」は 「程よい」ということです。子供のころいたずらをしてたら母親から「いい加減にしなさい」 と叱られたことは懐かしい思い出です。 ところが母親は自分の子供が「よい加減な人物」になって欲しいとは決して思ってないのです。 自然な状態での「いい加減」は日本人は好まない。 之は前項の自然の災厄に対して何もせずに放擲することは好まないという意味です。 「人事を尽くして天命を待つ」という中国の思想と同じなのではないでしょうか。 日本人が好む風呂で主人に「加減はどうですか」と聞かれて、 客が「いい加減ですよ」と答えれば主人は満足します。 TPO(Time Place Ocasion)で解釈はどうにでもなるのです。 6) 「結構です」も慣用語です。字義から言えば「申し分ない」です。 しかし、拒絶の意思の表明にしばしば使用されます。 つまり相手が主体で「結構です」という場合は「素晴らしい」ことであり、 自分が主体になれば婉曲な拒絶の意味になります。 7) 「しとしと」、擬音は難しいですね。 風呂にあるいはプールに飛び込む音を日本人は「ドブーン」と表現します。 中国語ではNHKの教科書で学びましたが「プトーン」というそうですね。 「しとしとと雨が降る」は中国語では「細雨不停地下」 とでも言うのでしょうか。日本は擬音が多いですね。 「涙をはらはらと流す」「足がよろよろする」など。笑いについても「くすくす」 「げらげら」など。中国語では説明的な言葉で区別してるそうです。 「嗤笑」は陰険な笑い、「一笑」はチヨッとした笑い。 8) 「かみさん」、神さまから「さん」という丁寧語になったものです。 私の中国語の先生(娘さん)がアルバイトで 日本の料理店で働いてましたら、「この人がおかみさんです」と紹介されて、 「狼さん」と間違ったという笑い話がありました。 動物にも「さん」を付けます。お猿さん、象さん。食物でも、お豆さん、お芋さん。 ご苦労さん、お疲れさん。 これは敬意を持って周囲と接しておれば災いが身にふりかからないという日本人の姿勢ですね。 9) 「もったいない」、物の価値が価値どうりに使われてないという意味でしょう。 省エネルギー時代でこの言葉は浮上してきました。 「もったい」とは物体で物の本質。 「もったいぶる」とは本質がないのに体裁だけ飾ることを意味します。 「もの」とは「物」以外に「者」とも書きます。日本語の「もの」は範囲が広いのです。 「どんなもん(もの)だい」「ものには限度がある」 「そんなことをいうものではない」の「もの」が何をさしてるか我々でも説明し難いのです。 「もの好き」「もののあわれ」も同じです。 10) 「あげくのはて」、「一生懸命に努力したけれどあげくのはてにこの有様だ」と言います。 「結局」という意味に使います。これは日本の文化である「俳句」を理解しないといけません。 室町時代から「連歌」が発展して 最初の発句(ほっく)が「俳句」になりました。 連歌の最後にあるのが「挙げ句」なのです。次も言葉の語源に関連します。 11) 「おいそれと」、「おいそれとは出来ませんよ」というように否定に使われます。 「おい」と他人に呼ばれ「それ」と腰を上げて行動に移ることから来た言葉でしょう。 12) 「わたし」、中国語では「我」のみでしょうか。 日本語では「わたくし、ぼく、われ、おれ、 自分、手前、うち、わし、当方、小生」など非常に多様です。 これは日本が島国で個人が社会と関わり 「つねに世間の中の自分の立場を確認し、相手の地位を窺って、 微妙な人間関係を維持してゆきたい」という配慮の表れです。 13) 「まあまあ」、「まあ」だけでも「まあ、一杯」は「先ず一杯」、 「まあ、待ちなさい」は制止の用法、 「まあ、ひどい」は感嘆詞。実に多様に使われます。 「試験は出来ましたか」という質問に「まあまあです」と答えた場合、 通常は良いほうに解釈されます。 日本人は争っても島国で逃げることは出来ない。「分に安んずる」ということは美徳なのです。 自分を過度に主張してはいけない。曖昧にして争いにならぬことを日本人は選択したのです。 期待を実際以下に設定して満足する便法です。 有名な俳句に小林一茶の辞世の句「是がまあ ついのすみかか 雪五尺」があります。 14) 「シンどい」、これは関西弁ですが東京でも使われるようになった例です。 普通は「くたびれた」「疲れた」ですが 「シンドイ仕事」という場合は「面倒な」という意味になります。 「辛労」あるいは「心労」という漢語からきた言葉でしょう。 15) 「めでたい」、「目出度」あるいは「芽出度」という漢語からきた言葉でしょう。 現在は「祝うべき」意味ですが、古くは「愛する」「うるわしい」という意味もあったようです。 「おめでた」というと結婚、妊娠、出産を指し、 「おめでたい人」と言えば「お人好し」とか「楽天的な人」を意味します。 16) 「女房(妻)に逃げられた」、これは「泥棒に入られた」よいうように受身で使います。 妻が逃げた、泥棒が逃げたという風に言わないのは日本に住む拓殖大学の 呉善花教授は 「日本人が責任は自分にあり、相手を責めない」という心情からきた表現であると説かれます。 |
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