※ 西安の旅 ※ 2006年3月


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  西安の旅

 昨年、
家庭教師の謝秦さんの両親が来日されて我々が観光案内したことから
自然に西安を訪れるという流れになった。
桜が咲く頃には帰国していたいということから3月中旬の出発と決めた。
1月中旬にそろそろ航空券の予約をとHISに電話してみるとこれが案外タイトである。
金曜のフォークダンスを済ませての出発が希望であったので、3月18日(土曜)に出て
25日(土曜)に帰国するという選択しか残されてなかった。
往復で空港利用税も込みで19万円である。
1月24日に謝さんと三宮で会い、お父さんの段取りを聞くと
会社関係での友人の王さんの車で飛行場への迎えと観光が出来るらしい。
謝さんからカメラなど母上への預かりものを9日に自宅で受け取り、
家内と一緒に「お好み焼き」を食べに行った。
15日に芦屋を食後に散歩していると生駒の上に
「大きな赤色の月」が見えて「大自然の不可思議」を実感した。
7日の吉林省の学者たちへのクラシック演奏、
13日の彼らへの我が家でのお茶の招待、このところ中国人との交流が続いた。

18日 
快晴である。荷物は美津子の大きなスーツケースと
1985年に香港で800円で買った赤い車のついたバッグである。
バッグには謝さんからの預かり品を入れた。MKタクシーは予定の
10時25分より少し遅れてきた。理由が面白い。
外人の客が出発間際にパスポートが見つからずキャンセルしたらしい。
それでも客は定員7人のところ6人である。繁盛している。
料金も従来の1人¥2、000から¥2、300に上がった。
DCカードの「ラウンジ金剛」でビールを2杯飲んだ。
ビールを昼間から飲める体調であるかぎり私は健康である。
免税店でオールドパーを1本買った。(後でエライ事になるとはつゆ知らず)。
東方航空は定刻より少し早く上海に到着した。「現代の遣唐使」は本当に楽である。
幸い浦東空港で帰路の上海航空のリコンファームも出来た。
浦東空港でもビールを飲み、美津子は「開普」というりんごジュースが気に入った。
さて、セキュリティーチエック、係りの女性が私の赤いバッグを開けた。
一番上に酒のボトル、それからが大変である。全ての航空券の提出を求められた。
国際線ではいいが、国内線での飲料ボトルは禁止である。
没収されるほうが楽であるが、先方の言うように再びチェックカウンターに行かねばならない。
広い空港内を走った。
言われるとおりAの5番カウンターに行くと更に「後ろのほう」という。
ここで漸く「包装をすれば預かり荷物として輸送可能」ということが分かった。
箱代25元を支払う。側の日本人が「箱を買うお金を貸してくれ」
と言うがこちらは時間の余裕がない。搭乗の時間5時15分はせまるし、焦った。
引き返すと贈り物の男性化粧品もローション3本など引っかかるが
女性の上司が「もう良い」と言って呉れたので助かった。
気温も高く、搭乗のバスの中で汗をぬぐった。西安行きの機上では雲の夕焼けが見られた。
本日2回目となる機内食を食べた。
飛行場のある咸陽は西安の西約30kmに位置していて、古代の「秦」の都があったところである。
上空から見ると高速道路のランプが美しい。
到着するとロビーですぐに謝夫妻が出迎えてくれるのが見えた。王さんに名刺を渡した。
謝さんより2歳下の老板(経営者)である。謝さんは航空機製造会社の金属製品の購買部所属で、
今回我々が世話になるのは納入する業者の経営者ばかり3人であることが分かった。
今夜から泊まるところは謝さんの自宅にも近い「閻良」である。西安から北へ40kmの位置である。
飛行機の製造で有名なので「東洋のシアトル」という別名もある。
会社の経営するホテル「西飛賓館」に4泊する。
ホテルの前で娘さんからの委託品、土産ものをお母さんに渡した。時間は夜9時半くらいである。

19日 
朝7時にホテルで待ち合わせ、3分ほど謝さんが遅れたので
ホテルのフロント従業員に自宅への電話を頼み、ダイヤルしているところに謝さんが現れた。
散歩しながら自宅方面に向かう。
謝さんの家は「人民路」を横切り、団地の2階にある。6階まであるが、エレベーターは無い。
部屋は台所と寝室2つ、客間1つ、3Kである。清潔で不要なものが無い。
従って面積は51平方メートルであるが広く見える。付属のベランダもある。
2つの寝室にはダブルベッドがある。風呂場にはシャワー施設のみ。
シンプルライフを勉強した。本も無い、新聞も無い。食事は組み立てる式テーブルでする。
台所は明るい。金属の格子がしてある。点心の「老婆餅」がおいてある。
「湯元」という甘い黒ゴマ餡入り餅の入ったスープを供された。それに大きな油酢餅。
今日の観光場所では飲食が不便というので袋にジュース、りんご、茶葉卵などを入れて行く。
「石頭餅」は塩辛いお菓子であるが謝さんが書いた説明文に
「食べて吐き出す」ように思えたので敬遠した。
帰国後分かったことであるが単に咬むと口のなかで破裂するという意味らしい。
8時半団地の南門に王さんが迎えに来てくれる。黄砂で太陽も曇ってる。
周囲は一面の小麦畠、途中歴史で有名な渭水を越える。黄河の支流であり、
黄河は西安の東で大きく北に向かってる。臨潼という地名も曹操と袁紹の戦いで有名である。
1時間で兵馬俑博物館到着。背景の山は「驪山」である。
ここで李麗さんという外人相手の解説の女性(27歳、即ちこの博物館が出来た年である。)
が近づいてきて1時間半で100元という。
私は「貴女は見るからに賢しこそうだからお願いしょう」と言った。仲間が笑ってる。
1号館、3号館{司令部}、2号館と案内してくれる。
なんと言っても最初に1号館に入って8000体の「傭」を観るのは感激である。
百聞は一見に如かず」とはぴったりの表現である。
約5,000坪の体育館のような展示場である。
この遺跡に関する余りにも多くの書物に接してきた。
遺跡は無機的に見える。苦労の上の修復であろう。
材料は驪山の石英と土の混合物らしい。900度で焼き、色彩を施し更に焼く。
溝の上には木を被せ更に莚を載せて保護したらしい。
1980年に発見された2台の馬車は精巧で圧巻である。縮尺サイズは2分の1らしい。
李さんが「今日は発見者の楊さんが来てる。120元の解説書にサインしてくれるよ」と言う。
サインを貰った。今彼は80歳くらい。最後に茶館でレイシのお茶を皆で飲んだ。
中国式のサービスで120元。「倒立壺」というのが面白い。
底から熱湯を入れてひっくり返し置いてもこぼれない。理屈は後日「陝西博物館」で理解した。
李麗さんは午後から「交通大学」で日本語を習うという。
「秦の人達は漢民族ではないよ」というと、李麗さんは不服そうであった。
謝さんは自宅で「確かに彼らは北方民族だけど漢族と混血している」と説明してくれた。
ついで「華清池」に行く。玄宗皇帝と楊貴妃の過ごした別邸である。
当時「蓮華湯」「海棠湯」の大理石の浴室があった。ゆかりの絵画やジオラマなどの展示がある。
今観る裏山が1936年12月に督励に来た蒋介石が
張学良に捕えられる時に逃げた裏山と思うと生々しい。
当時の窓ガラスに残る銃痕も保存してある。
謝さん宅に帰り、ジャガイモやレンコンを薄い袋に包んで食べる料理を頂いた。
謝秦さんに聞いていた「小さい時は朝、小銭を貰って外に食べに行った」
というような環境は当地で無くなったらしい。

兵馬俑の威容

華清池の庭園

謝氏宅での食事

20日 
朝、部屋でリンゴを食べる。今日は王さんの運転で「西線観光」である。
王さんの趣味は骨董という。飛行場のある咸陽あたりを咸陽平原という。
その一角、興平市に漢の武帝(BC157-87、司馬遷を宮刑にした皇帝)
の「茂陵」がある。入ると風格がある風情である。
一番高い展望台まで歩いて登る。御陵自体は北にあり、
武帝時代に活躍した将軍、衛青と去平の墓がある。
更に匈奴でありながら武帝に協力した将軍「金日石単」の墓がある。
私は驚いた。匈奴も副葬するとは「佳話ですね」と謝さんに言うと頷いた。
当時は国民生産の3分の1をお墓の建設に費やしていたというから凄い話である。
漢書の記録では当地の周囲に28万人が住んだというが今は遺跡もない。
博物館のジオラマに日本語の解説があるが、お粗末な翻訳で読みにくい。
伝説の怪獣(PI XIU)を模した刈り込みがある。
我々は昨年謝さんから怪獣「貔貅」の藍田玉のお土産を頂いて毎日大事に見てる。
次いで法門寺に向かう。興平市は発展が遅れている。冷房もない屋台で肉を売る。
道路は一般道路で快適とは言えない。
右に楊貴妃の墓の表示を見て過ぎると道に横断幕が張られている。
謝さんが車から降りて確認するとどうやら人身事故で人が死亡したらしい。
已む無く右折して農道を迂回した。これが凄い悪路である。
幸い対向車が僅か4台で通れたが、農村の道路状況は極めて悪い。
ようやく扶風県の法門寺に着く。閻良から150kmあるらしい。
先ずレストランで昼食を食べる。
豆腐(香椿拌豆腐)と牛肉(脆皮乳猪)ハルサメ、ラーメンである。
寺は後漢(東漢とも言う)AD147-189に建立された。
当初は阿育王寺であったが、624年に今の名前に改称された。
釈迦の骨は死亡後88、400個に分骨されたが、
1987年塔の修理中に地下の部屋で真の「舎利」が発見された。
仏教の世界では大発見である。ここで謝さんに提案して
二人で謝さんの学位が無事取得出来ますように祈った。
記録では「舎利」は何回も都長安に運ばれたらしいが、
唐より以後消息を絶っていたのである。
日本の僧侶との交歓の写真も展示されていた。
帰途参詣道の反対側に東西南北を向く4体の大きな仏像が眺められた。
車に戻ると王さんが骨董3点を買って400元を支払っているのに出会った。
我々が車に乗ろうとすると更に王さんに売りつけようとしつこく迫る。
王さんもさすがに怒ってドアーを強引に閉められた。
私も窓から「ウルサイ」と怒鳴った。本当に彼らは国辱ものである。
東に向かう。前の席の男性2人は絶え間なく会話してるが、時々窓から外へ向かって「つばを吐く」。
りんごの食べかす、紙など平気である。この感覚は理解出来なかった。
途中両側に峡谷が見えてその中に「洞穴」が沢山観察された。
謝さんに聞くと昔は人が住んでいたらしい。乾陵に着く。観光バスは1台も見えない。
高宗と武則天が合葬されている。中国の歴史でも合葬はここのみである。
しかも武則天は皇帝として葬むられている。それが特色である。謝さんは「李治の墓」という。
唐の建国は李渕(高祖}-李世民(太宗}―李治と続いた。
我われは南から階段を登って行くが、左右に「乳頭峰」が見える。
山の上にそれぞれ構築物がある。昔は陵は二重の城壁で囲まれていたらしい。
唐の歴代の皇帝の墓は「い水」の北に点在しているがこの陵が最西端である。
御陵への道は両側に石の馬、人、獅子が並ぶ。外国(蛮族)の使節の首がない。
これは後日彼らの後裔が唐に従属したのを恥として壊したという説である。
武則天が建立した「無字碑」と呼ばれる碑には字がない。
種々の説があるが謝さんは彼女が「自分の評価を後世に託した」というのが説得力があるという。
後世、旅の人が落書きしたのもあれば落書きを消したのもある。
西日が黄砂のスクリーンを通して見える。もう夕方5時である。
最後に1960年に発見された「永泰公主の墓」に行く。
高宗の孫娘の墓であるが、武則天に殺されたというのが有力説。
入り口からスロープで87m、坂の下の玄室に至る。
壁に8ケ所のくりぬいた部屋があり、騎馬や召使の陶器の「俑」がある。
当然唐の三彩である。有名な「仕女図」は複製品であるが鮮やかな色で興味深い。
副葬品は発見されると酸化して変色するので出土時の写真も大切である。
纏足もなく当時の女性の地位が窺われる。これで東線、西線の観光が終わった。
帰宅は8時となった。奥さんがジャージャー麺を作って待って下さっていた。美味である。
是は美津子の友人広瀬さんが1995年に亀岡の自宅を訪問した際に供してくれたのと同一である。
食後ホテルで謝さんの上司「胡正さん」が待っているというので皆でホテルに向かった。
ロビーで同氏と会い雑談した。同氏(43歳)は共産党の幹部であるが、
日本の電子技術、自動車に見られる環境、省エネ技術が素晴らしく敬意を抱いていると言う。
私は日本が大戦後全く戦争がなく、一途に経済発展に専一出来たこと、
反面平和の影響で外交感覚が鈍くなっていると述べた。
更に日本の天皇の墓は「天皇の家族の墓なので我々は入れない」と説明した。
「日本の窓」という中国語の日本紹介の本も持参したが、
「表現が適切でないので差し上げることは出来ない」と述べた。これは事実である。
私は同氏に資生堂の男性化粧品をお土産に用意していたので部屋から取り出し贈呈した。
同氏は「中国の男性は食べるのが精一杯です。」と謙遜された。
私は「すぐに中国も日本同様、男性も化粧品に関心を持つうになりますよ」と言った。


茂陵で正門を望む

法門寺の塔

乾陵の無字碑

永泰公主の墓の壁画



21日 
7時50分ホテルで待ち合わせ。散歩しながら出勤風景を見る。
皆自転車通勤である。8時きっかりに工場の門が閉められると遅刻者は入れない。
給料も引かれる由。閻良は人口28万、企業城下町である。
「西安飛機公司」、飛行機製造会社であるからテスト飛行の飛行場もある由であった。
我々のホテルの正面のガラスは飛行機の形をしている。
軍事機密もあるのか謝さんの郵便も私書箱である。謝さん宅に至り朝食である。
龍眼とクコ、落花生、ゆりね、棗、きくらげなどが入ったスープである。
私が「まさに漢方薬やね」というと美津子も「衣食同源」という。
厚かましいが暖めて貰った。今日は閻良見物である。日本の謝秦さんからも電話がかかる。
我々も電話口に出る。15分で農貿市場に行く。朝3時くらいから開店しているらしい。
美津子は上着2着(110元)と綿のスカート生地3m(21元)を買う。
面白いのは後者の店で店員が我々のことを謝さん夫人に質問して
「南方人?」と聞いたので私は「東方人」と答えた。
これは冗談のつもり。昼は謝さん宅で「ぎょうざ」である。本場の水ぎようざを十分味わった。
午後は小雨、謝さんの知人の老板が経営してるという茶の小売店に行く。
我々が注文すると夫人がこれを交渉して小分けにし、それぞれに産地名を書いて呉れた。
1) 人参ウーロン茶 200g(安渓)       40元
2) ジャスミン五星 200g(福建)      140元
3) キーマン紅茶  500g(安徽)       28元
4) 明前毛尖緑茶  500g(河南省信陽)    100元
5) 紫陽毛尖緑茶  250g(同上)         12元
6) 超級ジャスミン 500g(広西)         15元
途中で老板が帰って来て、お土産に河南省光山県の「排毒養顔茶」を呉れた。
合計で335元の買い物である。
更にスーパーで美津子のスニーカー、私のシャツなど購入してホテルに戻った。
ホテル6時集合で胡さん主催の宴会がある。近くの料理店の2階である。
店内に入ると6時で会社が引けたのにもう胡さんは到着されていた。是は気分が良い。
我々2組夫婦、王さん、謝さんの部下の劉さん(38歳)、袁さん(29歳)である。
全く肩の張らぬ会食で堅苦しい挨拶もなかった。
謝秦さんから予め聞いていたことであるが今日のために胡さんは彼女が年末に
帰国した際に我々がどのような料理を好むかわざわざ実地に下見に来てくれたらしい。
当然我々の口に合わない料理はない。鮭や北極貝の刺身、深海魚、酢豚、焼乳鳩など。
最後に私が「大海故郷」を歌い、美津子も含めて「浜辺の歌」を中国語、日本語で歌った。
若い二人はおとなしい。記念写真で終了。

その後王さんを除いてホテルで雑談ということになり、
例えば日本ではスーパーで手持ちのバッグを預ける必要もないことなど話し合った。
胡さんは中国では「医療、教育、衛生の改革は成功してない」という。
最後に私が「大局着眼、小局着手」と書くと、胡さんは「観点非常正確」と書いて呉れた。
綺麗な字である。正直、胡さんとはかなりの部分筆談に頼るか謝さんに通訳して貰う必要があった。
エレベーターで別れ際に夫人が大きな声で「タダイマー」と言ったので翌日大笑いの種になった。

21日の宴会

22日 
日本より持参したお粥を食べた。8時前にホテルの決済である。
料金表では1日530元で割引15%、サービス料がついて結局530元と思っていたが、
胡さんの配慮で優待割引してくれて250元であった。
大いに感謝した。今日は西安に住む張さんが我々を迎えに来てくれた。
荷物を積んで高速を飛ばす。西安の東北部に謝さんの父上が住まわれている。
マンションの2階に案内されて干し柿をご馳走になった。我々もお土産に購入したものである。
御両親は実に穏やかな良い表情をされていて、日本にいる「孫をよろしく」と挨拶される。
父上は1928年生まれ78歳である。29歳の時に政治大学を卒業された証明を見せて頂いた。
共産党の幹部である。カタコトの日本語も話される。父上は人民帽をかぶって表で記念撮影。
車は城壁の中に入り、南門から出てANAのホテル(城保大飯店)に荷物を預けた。
謝夫人から謝秦さんへの依託物は最初より多くなっている。老婆餅20ケが追加になった。
張さんの車で市内中心の「鼓楼」近辺で下車、直ちに「清真大寺」へ歩く、両側は売店であるが興味はない。
イスラム寺院である。イスラム教は651年中国に伝えられた。教徒は白い淵なし帽子をかぶっている。
市内の信徒は5万(全国では1000万)という。因みに西安の人口は800万である。
建立は玄宗時代の742年、額に「勅賜礼拝寺」とある。
約4000坪の寺内では左右対称で堂宇が並ぶ。周りの騒音には無関係の静寂さである。
木蓮(玉蘭花)が咲く。本堂の青い塗装が印象的であった。門を出て昼食に喧騒な街に出る。
丁度昼時分であるが、幸い或る店に入れた。我々だけではなかなか入りにくい店である。
ここで出来たての水餃子を食べた。八宝なんとかという竜眼ともち米入りのスープを飲む。
お腹が空いているのでおいしい。街をぶらついていると個人宅に「榜眼」という額が懸ってる。
是はこの家の人が科挙で「状元」に次ぐ2位で合格したという意味である。
謝さんは美津子にも通訳して知らせて欲しいという。因みに3位は「探花」である。
鼓楼は高さが33m、明代(1380年)に建立された。昔は夕方に鼓を打って時を知らした。
楼内には少数民族の鼓が展示してある。展望の出来る廊下の太鼓には24季を表す文字が記されてる。
楽器の演奏タイムがあるが我々はヴィデオで少し鑑賞しただけである。公園を横切り近くの鐘楼に行く。
これも建立は1384年、鼓楼とほぼ同じである。高さも36mでほぼ鼓楼と同じ。
ここから街の大通りが4方に伸びてるので西安の基軸である。
デジカメのチップが昨晩から満杯になり、どうしても買わねばならない。
ANAホテルでは韓国製で298元であった。
開元百貨店は衣類専門で電気店は無く、
周囲の最初の店は256バイト(120枚)310元、512バイト(200枚)530元、
1G(400枚)730元と言ったので夫人が512バイトを400元でどうかというと
NOと言われた、近くの店で松下製品が512バイト 360元である。是に決めた。
但し現金。日本では1万円するだろう。
夫人は「このような商品は焦らずに何軒も見て安いところを探す」という。
ここでタクシーに乗り、ホテルに帰った。部屋へ預かり品も持ち込み、目録を書いて貰った。
衣類と中国料理の材料セット、老婆餅である。時間は3時ころであるが、
謝さんは「今日は観光は終了」という。晩は私の希望で羊のシャブシャブである。
5時15分にロビーで待ち合わせる。
部屋で休養して階下に降りてみると夫人が「我々は時間を間違ってた」という。
おそらく3時を5時と間違えたのか。張さんが又迎えに来てくれて西門の西の料理店に行く。
ここはシルクロードの終点である。感慨が沸く。客1人に火鍋が1つづつ。
運ばれてくる羊肉、牛肉が美しい。牛の胃袋、羊の団子、えび(冷凍品)など実に美味であった。
旅行でこんなに美味しいのはタイ旅行以来かもしれない。スープは絶品であった。
「至福の時」とはこういう状態を指すのであろう。最後は黄色と白の饅頭で「金銀饅頭」という。
張さんに「私はもう饅頭気違いになりましたよ」と言った。
美津子が百貨店で買い物したいというので我々は開元百貨店で降ろして貰った。
彼らが心配するので「我々は過去に杭州旅行でも単独で行動してます」と安心させた。
5階でジャケット(茄克)を試着して美津子は気に入ったのでズボンも3着買った。
代金はジャケット740元とズボンが合計で1120元、合計1860元。
ここで8時半ベルが鳴る。謝秦さんから予ねて閉店は10時と聞いてたし、
上海でも10時であったのでいささか驚いた。裾の調整は5分で出来るという。
同じ階の廊下に作業場があり、切ってミシンをかけアイロンを当てる。
9時に漸く仕上がる。この頃には女子従業員は整列して点呼を受け、解散するところを見た。
帰国後謝秦さんに彼女らの給料を聞くとせいぜい月1000元くらいという。
勝手知ったる場所からタクシーに乗り帰還。
2階のビジネスセンターで翌日の8時半からの「唐楽宮」のショウを予約400元を支払う。
部屋に入ると謝さんから電話がある。「剛才回来了」(今帰ったばかり)と答えた。
翌日これで安心したと謝さんは述懐。長い一日は終わった。

謝秦さんの祖父母と

23日 
朝食はANAの2階の和食である。久々の日本食(定食)であるがまあまあの内容であった。
今日は_さんの運転である。8時に夫婦と待ち合わせ。徒歩で城壁に沿って東を「碑林」に向かう。
「書院門」がある。石の細い柱に馬の頭の彫刻がしてある。
頭の下に穴がある。是は動物をつないでおくところだった。
両側の売店は習字の材料店ばかりが並ぶ。昔の学校もある。
碑林博物館もたたずまいが立派である。門の上に網がしてあるのは鳥の潜り抜け防止の由。
孔子廟を基に1087年建立。最近発掘された石の彫刻(仏像など)を見る。
北魏時代の仏像などが当地周辺でゴロゴロ出土する感じである。
唐の2代皇帝李世民の昭陵の6枚のレリーフの内2枚は
1914年に米人が持ち出して現在はペンシルバニア大学にあるらしい。
石の巨大な獣の彫刻は面白かった。
(後刻行く陝西博物館のロビーにもあった)美津子が「陝西10怪」の切り絵を
定価の25元で買ったところ謝さん夫婦は「何故値切らないか」と大いに残念がった。
そこで私は夫人に「人間万事塞翁が馬という故事を知ってるか、
私は実は今朝ホテルのエレベーターで10元拾った」とい言うと大笑いとなった。
事実美津子は同じものを10元で売ってるのを目撃してる。博物館も油断ならない。
碑林には勿論王義之や顔真卿の自筆のもあるが大きな亀の彫刻の上に乗ってる。
唐とローマの交流を示す唯一の資料の碑もある。
碑林を出て、明代に出来た城壁の上に登るのも40元要る。
唐時代は今の規模の広さ7倍である。上の幅はとても広い。
(12m-14m)自転車で周囲を廻るのも可能だし、有料の乗り物もある。
城壁の下では亭の中で合奏をのどかに楽しむ一団がいた。
南門(永寧門)から出る。ここからタクシーで「陝西省博物館」に行く。
丁度12時である。午後2時20分待ち合わせとした。ここは西周すなわち殷からの展示がある。
案内では5室あるので1室30分の見当で見たが、
階下の4-5室は展示がなく、私だけもう一度見た。
三彩の四合院形式の貴族の館の模型があった。居間の前に仮山もある。
ここの本屋でも定価180元を130元で買った。それでも高い。
100元ではNOという。ビールを飲む。
博物館前でXueさんの迎えがあり、一緒に近くの「刀削麺」の店に行く。
Xueさんは既に食べているので小さい椀である。大雁塔で午後3時だった。
4時半までゆっくり見れた。
この寺(大慈恩寺)は3代皇帝高宗が648年母親追慕で建立したが、
塔は玄奘三蔵が持ち帰った経典の保存のために建立したもので意義がある。
652年であった。ここで翻訳を11年続けたという。現在は7層で、
20元追加で支払って登れる。大した風景でもないが、是も経験である。
各階に正確に東西南北に窓が開いてる。
もう我々もかなり疲れていて、旅行案内とうり見た訳ではない。
庭園で夕日に輝く塔を眺め、庭園を楽しむだけであった。隣の寺院は桜が満開である。
塔の裏には仏教界の大物ジャオプチュ(趙さん)の揮毫で「民族之背梁」という字が見られた。
この塔に対する彼らの心意気を感じる。夫婦と一緒に更に「青龍寺」まで行く。
ここは今日から入場料12元、夫人の説明では1本の桜が咲いたので、
昨日まで8元を値上げした由。
空海と恵果の麗しい物語は司馬文学で読んだので意義がある、
恵果の先生が不空三蔵である。
建立は662年、桜(しだれ桜も有り)の風情を楽しみ、大雁塔も遠望した。
桜の下で何組もの新婚カップルが記念写真を撮ってる。次いで音楽学院まで送って呉れる。
中国の民謡の楽譜を買うためである。キャンパスの中に入り、購買部に辿り着いた。
難しそうだが3冊89元で購入した。途中小雁塔(薦福寺)の前を徐行してくれた。
この塔は高宗の夫人武則天が684年夫の冥福を祈るために建立したものである。
規模は小さい。円仁もこの寺に逗留していた。最後はホテルまで送ってくれた。

休息して7時半に「唐楽宮」に向かい、大通りを南に歩く。案外時間がかかる。
25分で到着し、受付でヴァーチューを渡すと返してくれないので已む無く
「座位」(座席のこと)いうと案内してくれた。
まだ舞台は7時半開演分のをしてる。時間は厳密ではない。客は外国人ばかり。
しかも団体が多いみたいである。フリードリンクに飲み物が一杯付いてる。別の一杯は20元。
ショーの内容はまあまあである。200元は高いと言えよう。
帰途はタクシーを捕まえて9元であった。

古代、馬をつないだ処

陝西博物館の怪獣

碑林正門

陝西博物館の馬車(模型)

大雁塔

青龍寺

24日 
朝8時待ち合わせ。朝食は西洋式にする。ホテルの部屋で私のバッグの金物が外れた。
退職以来愛用してきたものであるが捨てざるを得ない。
Xueさんが来てる。謝さんはバスで来たが、渋滞して5分遅れ。
今日は咸陽の「阿房宮」である。秦の恵文王時代に建てられた。
BC320年くらいの頃である。後日項羽が焼き払い3ケ月燃えたという俗説がある。
約50分で到着。50元で入場券を買った。今日からセーターを脱ぎ、軽装してるので少し寒い。
遺跡の上の一部に民間会社が10分の1縮小規模の宮を建ててる。
遊園地である。唐の詩人「杜牧」の「阿房宮賦」という石碑もある。
小姐の運転する場内カートで池(蘭池湖)に行く。ここから見る皇宮の景観はなかなかのもの。
そこで救命衣を着て聳える皇宮の裏面を見つつボートで1周。あっと言う間のことだった。
祭天壇などで記念撮影し。園内を散歩する。10時に舞踊が開演。
是がまじめな人も居れば始皇帝役の男性のように無駄話をしてる輩もいて何とも形容出来ない代物。
次いで音楽、サーカスと見たがサーカスは真剣。観客は我々4人を入れて僅かに7人くらい。
後で中国人の団体の一行が来たが、宣伝不足は明らかである。
乗馬は10元であるが、50歳以上はお断り。
城壁の南西にXueさんが連れて行ってくれた「そばや」(喬麦麺という)で私がご馳走した。
羊肉のソーセージ、香椿など種々食べて153元であった。
夢のような安い値段である。これ等は陝西の名物である。
パッキングは美津子が巧くやってくれて、時間が出来たのでホテル前の彫刻を見がてら散歩をする。
彫刻は「笛を吹く女性」。黄砂があるので美津子は来西以来終始マスクをしてる。
ホテルでは下見していた2階の中華料理に行く。餃子3皿とビールである。
食後に10階のバーで夜景を楽しむ。私はウイスキー、美津子はカンパリソーダ、他に客がいない。
TVでは大相撲の白鵬の活躍が見られた。大阪で買ったオールドパーも2割は残った。
靴はホテルで磨いてくれた。

阿房宮のシヨー

阿房宮の広場

西安の夜景

25日 
快晴である。チェックアウト、一晩635元なり。
8時にXueさん到来、再び謝さんの両親宅に向かう。
渋滞もなく到着。両親も道路に出て我々を見送って下さる。
右手に「萬畝桃園」の桃の花の満開で咲く様を見て飛行場に向かう。
9時に到着、10時25分手続き開始まで雑談した。
持参した4,000元は200元くらいしか残らず、
予備に米$200と換えた1600元がそのまま私のズボンのポケットに残った。
謝秦さんへの預かり物は26日に三宮で渡せた。(完)              


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