※ 桂林への旅 ※ 2006年10月


戻る⇒YOU YOU PAGE

  桂林への旅

 2002年に雄大な「三峡下り」を楽しんでから4年が経過した。
女性的な美の「桂林下り」はいわば宿題のように我々に残されていたのである。
9月末に私が神戸でJALのパンフレットを貰ってから急遽検討が進み、
結局は阪急のトラピクス主催のツアーに参加することになった。
私にとっては広州への寝台車の利用も魅力である。
インターネットでの旅行記の勉強や情報収集にも努めた。
金曜のダンスの練習が犠牲になるが已む無しである。
11月には璃江が渇水になるという。観光が「週末の混雑」になるのも致し方ない。
美津子の「木曜のイタリア語講座」はどうしても省けなかった。
3泊4日であるが、朝 早い出発なので当日も広州観光が出来る。
石油の値上がりで飛行機のサーチャージが¥9,600必要、更に中国でも60元が必要。
「桂」とは「金木犀」のことで9-10月がベストシーズンらしい。
気温は広州は暑く、桂林も大阪よりやや暑いという情報である。
写真で見る桂林の奇観は写真で承知している。

10月20日 
MKタクシーの迎えは7時5分である。
庄野公園の前から乗る。絶好の晴天である。 JALのマイレージを登録した。往復の登録が出来る。
今回は約3000マイル。DCのラウンジは満員。
時間と共に空いてくる。人の移動が激しい。10時15分発のJALは空いている。
近来稀にみる現象である。予定通りの13時20分に着陸、驚異的である。
ツアーのメンバーは男性6人、女性6人である。
男性は壮年の5人のグループ、女性は同級生の3人組み、2人組。ガイドは桂林の張さん。
空港からのバスは大型で悠々。気温は29度と暑い。最初の観光は「六榕寺」、
仏教は広州からも上陸したのでその基点である。
庭にガジユマルの木があるので1099年に蘇軾が六榕と書き、
明代に寺もそう呼ばれるようになったという。
境内には八角形の塔があり、外見は9層であるが仏教では
17層という説明である。外には乞食が多い。
次いで「陳氏書院」陳姓の人達が共同で1894年に建てた「祠堂」である。
英語でcollege.建物や回廊、扉に見事な彫刻がある。現在は工芸館になっている。
中国でも最大という端渓の硯も置かれていた。
裏庭には魯迅の「阿Q正伝」に題材した様々な彫刻が展示してある。
庶民に講義している場面を写真に収めた。時間があるので沙面に行く。
珠江のほとりの2200mが上海の外灘のような租界地区で、西洋風の彫刻や街路樹が美しい。
亜熱帯の夕方の風景である。
広州酒家での料理もおいしくて空港に来るまでは極めて順調であった。
ところが南方航空の20時40分発の予定が遅れて、
理由も分からずに23時25分まで待たされる羽目となる。
何でも桂林からの飛行機がまだ到着せぬそうである。
日本人26人を引率している男性ガイドに
「若し中国人が望むなら日本人旅行者で飛行機の掃除を手伝うよ」と冗談を言った。
こういう事態はしょっちゅうあるらしい。償いとしてお粥の缶、クラッカー、水を呉れる。
待っている間に若い中国人と話をした。
海口へ向かう山西省生まれの男性は自家用車も持っていて
怪しげではあるが「アイウエオ、カキクケコ」も知っていた。
日本の先生に習ったらしい。語学のお陰で国際交流が出来る。
桂林から市内へのバスは渋滞もなく到着。
コンドミニアムの部屋に入ると既に2時過ぎである。
風呂に入り、2時40分就寝。フラフラする。
幸い4時40分にトイレに起きると疲労は回復している。

六榕寺

陳氏書院彫刻

阿Q正伝

沙面彫刻



10月21日 
6時20分起床。我々の部屋は130平方米あるそうで、
ベッドルームと居間兼書斎に食堂と台所である。
風呂やトイレも豪華であるがトイレは離れて玄関脇にあり、欧米人にはどうかと思う。
それとも日本人観光客に絞っているのか。
我々の10号棟から食堂のある8号棟までは歩いて行く。
張さんによれば桂林には毎年1000万の客が来る。
900万は中国人、100万が外人で20万が日本人らしい。
日本人は老年者が多いが、欧米人は青年が多く、長期に滞在するらしい。
桂林は木犀の名所であるが、盛りを過ぎているらしい。
これは痛恨事。通常なら黄色、白、赤、紫の花が咲くらしい。
竹江の埠頭から「壮錦号」に乗船、指定席である。
女性組6人と男性組6人に別れて座る。以降全ての食事もこのパターンとなる。
「陽朔」までの80kmを5時間で下る。竹の筏の船がゆらゆら沢山浮かんでいる。
観光船に何か売るらしい。9時頃に埠頭から離れる。
土曜日とて観光船が続々と連なる風景はさながら連合艦隊のようである。
周囲は名にし負う奇岩の風景である。白いアヒルや水牛の群れののどかな景色である。
「冠岩」で下船して鍾乳洞に入る。ここは規模も大きく、足元に注意しながら歩く。
少数民族の人達がラッパを吹いてくれる風景もある。
トロッコに乗り、更に歩いて小さな船に乗る。
船には各座席に周囲を観察出来るように備えつけの電燈があり、探検隊のようである。
美津子は体内にいるようだと言った。途中20元払って滝を見物。 
凄い水流である。張さんによると、今は水量が少ないとのこと。
水源は璃江と異なり、璃江に注ぎ、最後は珠江に流れていく。 
エレベーターで上がり外界へ。
と一転、のどかな山岳に囲まれた田園があり、散策して乗船場に戻る。
我々はここでの観光には十分満足した。
デッキで唐さんという写真家により集合写真も撮り、私も1枚頼んだ。
1枚¥1000で購入する。昨日の疲れもあり、食後は席で睡眠した。
景色にも飽きるくらいである。美津子は「三峡」より璃江が良いという。
住民の立ち退きのような問題がここには無い。のどかである。
一般に「三峡」の男性的風景に対してここは女性的風景と言われる。
終点の「陽朔」はがっかりである。メイン通りの「西街」には特色もない。
しかし、観光名所の「世外桃源」は素晴らしい。船で巡る。
少数民族の若者が客のために歌ったり、踊ったりしている。
高粱畠や牛の放牧、大きな実をつけたザボンの木。
最後に街の北西の郊外にある「蘆笛岩」に行く。ここもカルスト地形で鍾乳洞がある。
世界遺産である。あたかも原始林のような鍾乳石が屹立している。壮観である。
「水晶宮」がハイライトであるが写真は難しい。
お茶の専門店では「_枝の紅茶」が70gで80元、これを値切り2個で120元では売らない。
結局やめた。夕食は四川料理、あまり辛くない。20時半にホテルに戻りゆっくり風呂に入れた、

観光船

連合艦隊

璃江風景

船上の我々

桃源郷

少数民族の踊り



10月22日 
朝のバイキングはお粥や白飯、味噌汁、蕎麦もある。
今回は我々の用意した梅干し、振りかけなどは不要。
市内観光は3年前に出来た日塔、月塔から。ここの桂林瀑布大酒店は一流らしい。
「七星公園」は駱駝に似た石があり、クリントンも地球環境問題でここで講演したらしい。
七つの峰が北斗七星に似ているらしいが歩いている我々には分らない。
動物園が併設されていてパンダがいたが、圧巻は虎との記念撮影である。
勿論専門の虎使いがいるが、虎に跨って撮影出来る。
これで20元は値打ちがある。「畳彩山」220mに登る。
汗をかくが頂上の「明月峰」からの眺めは絶景である。昼食は郷土料理。
桂林博物館では陽さんという学芸員の説明がある。少数民族の相聞のジオラマがある。
男性が歌い、女性は気に入ると丸い玉を高い輪を通して男性の胸に当てるようにする。
この広西チワン自治区は少数民族が4割を占める。
ここの博物館では更に風水思想の研究もしているそうである。
鬼門には象などを置くと良い。
陽先生は京都にも来たことがあり、名刺を呉れる。
女性メンバーから「象鼻公園」が抜けているとクレームあり、最後はそこへ行く。
璃江のほとりに象の鼻をした岩がある。
ただそれだけを見るのに入場料が要る。岩山の上に舎利塔がある。
4時半から1時間自由行動、先ずお茶を飲み、歩行者天国を百貨店の茶商に行く。
「_枝」の字が分らないので店員さんに「楊貴妃の好きな果物」と言うとノートに書いてくれた。
残念ながらここでは売ってない。キーマン紅茶を50G、3.5元を6袋注文した。
夕食後、7時過ぎに「桂林駅」に着く。夜行寝台車で広州に戻るのである。
重い荷物を持って階段を上り降りするが、片側にスロープがあり、これを利用する。
女性2人組みが望んで我々夫婦とコンパートメントが同じになる。
我々は12号車。20時発と同時に10号車の食堂車へ美津子と行く。私は最初カクテルを飲む。
2人組みも来て10時40分まで70元の葡萄酒を飲みながらあれこれ雑談。
2名とも自営業の奥さんらしい。トイレは駅に停車中は使用不可である。
動き出すと係員が鍵を開けてくれる。夜中にトイレに起きると「衡陽」ホンヤンという駅である。
丁度別の列車の2等車を見たが中は本当に陰惨である。之に比べると寝台車は天国のようである。
上段の女性もこの2等車を目撃したらしい。
5人のおばさんが車内で売る商品を手押し車でホームを運んでいた。
ここは桂林から東北である。ここから南下して広州に至る。                                  

日塔、月塔

畳彩山の明月峰

頂上からの絶景

駱駝石

芦笛岩の原始林

水晶宮

象鼻山



10月23日 
0時過ぎから熟睡出来て、7時前に起床した。窓外は珠江が流れるのどかな風景である。
トラピクスの日程表では広州着8時57分であるが、机上の時刻表では8時42分に着く。
乗務員に確認したら「そうだ」という。張さんは9時という。この点彼は好人物だが信頼性に欠ける。
バスで朝粥の店に行く。点心もある。紹興酒の無料サービスがある。
容器は錫製で¥2500というがパスした。「西漢南越王博物館」に行く。
ここは1983年に発見された始皇帝の将軍の二代目の王「趙眛」の墓である。
后は少数民族で、他に3名の夫人と殉死している。
北京、上海に次ぐ重点博物館で解放軍兵士が門衛に立つ。
1988年に公開された。陸学芸員の説明では1000点の文物が発掘されたという。
鉄器、青銅器もある。アフリカ象の象牙とか東西の交流もある。
玉の細工は素晴らしい芸術である。考古の鑑定は5人の委員で行い、
全員の意見の一致を見なければ断定しないという。
玉製品や陶器を鑑定書付きで一式17万元で売るという。
空港でまた「飲茶料理」、さすがにビールは小瓶で済ました。現地14時45分、関空19時着。
3時間15分のフライトであり、長崎から博多、広島上空を経由したが夜景からつくづく人々の営為を思った。
MKタクシーも客は4人。帰宅して日本のビールがおいしかった。


2006年 10月20日~23日 広州・桂林の旅

 小泉仁郎ホームページ