※ 2009年 河南省への旅 ※


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河南省への旅

 08年の9月に上海外大で許昌学院の胡先生から「うちでも話してくれませんか」
と声をかけられた際には「機会がありましたら」と答えたものの
相当奥地にあるらしい許昌に行く気は全くなかった。
上海での講話から1周年の09年9月になり、胡先生に交通事情を聞くためメールした。
すると省都の鄭州までは関空から北京経由で便があること判明、
講話の時期は年内の12月12-13日と決まった。
1年生向けの「現代の日本」は胡先生が中国語に翻訳、2,4年生向けテキストとして
「日本語あれこれ」「日本の会社」「金印の物語」を記述した。後で分かったことであるが、
2007年には教師の不足で3年生になるべき生徒を募集出来なかった由。
以降胡先生と綿密な打ち合わせが始まった。
12月9日夜に許昌入りし、10、-11日は打ち合わせ、
12-13日にそれぞれ1コマを講話するという段取りである。
14日からは河南博物館と洛陽を観光することにした。

12月9日 
クリスマスの音楽のBGMが聞こえる関空を午後2時半に発つ。
北京空港はオリンピックで大きくなってた。
国内便乗り換えには10分くらい自動交通システムに乗る。
北京発の飛行機が半時間遅れ、鄭州に着いたのは午後の10時であった。
胡先生と1年生の凌君が出迎えてくれる。
凌君は歓迎幕などを手伝ってくれたらしい。周囲は暗くて霧ようのものに包まれてる。
1時間で福港ホテルに着く。DCカードが機械を通らずにDEPOSIT 400元を現金で支払う。

10日 
7時半待ち合わせで胡さんと学生食堂に行く。例によって日本の「ふりかけ」持参。
4年生の呂君が陪席する。液体ヨーグルト瓶が1元。同君の4人相部屋に案内して貰う。
(6人部屋で月400元の使用料らしい)若干の会話のあと、
宴会での余興の「大海、故郷」を練習で歌わしてもらう。
驚いたが外国語学科に面した道路に「熱烈歓迎小泉仁郎先生来我院講学」
の赤い垂れ幕が張られている。
その下に公開講座の大きな看板もある。劉副学部長に挨拶。彼女は英語の先生である。
ところが私は英語がなかなか出て来ないのでどうしても中国語になる。妙である。
教務室で先ず胡先生と「現代の日本」を打ち合わせた。質疑の打ち合わせと時間配分など。
その後、街の中心の中国銀行で10万円を両替した。7400元を入手する。
関空の銀行では6770元しか入手出来ないので、こちらが断然有利である。
一旦ホテルに戻り、3時に胡さんと待ち合わせて「覇陵橋」に行く。
周囲はどんよりと靄がかかってる。
ここは煙草の栽培で有名で公害もないので自然現象であろう。
「覇」とは魏の城から「8」里離れているという当て字である。
劉備の夫人2人が曹操に捕らえられたので関羽が助けに来て、
引き留める曹操と分かれた故事に因む橋である。ここは70歳以上は無料。
次いで近くの「春秋楼」は関羽が当地で滞在中に春秋を読んでたという故事に因む建物。
ホテルで一旦休憩をとり、6時からの歓迎会に臨む。
学部長の助手の曾さんが幹事で胡先生、当地の日本人教師斉藤先生、4年学生の孫さん、
1年学生の呉さんである。彼らは学級委員らしい。「注意一秒 怪我一生」のジョークを披露した。
(これは中国語ではー注意を怠れば一生あなたのせいだーという意味になる)。
斉藤先生は「小原庄助さん」を歌われた。斉藤先生と一緒に「ふるさと」を二重唱で歌った。
当地は湯葉が名物料理らしい。

11日 
昨日同様に新しい食堂に行く。
ホテルから大学までは歩いて行けるが、道路の広いのに驚く。
向こう側に「33秒」と表示が出てそれが減少してゆく仕掛けであるが、
歩くのが早い私でも渡りきるのがせい一杯である。その通りを馬車が行く光景を見かけた。
日本で見られないコントラストである。
胡先生と「金印物語」を打ち合わせ、私の原稿を全部翻訳した以外に
先生の主観で恣意的にゆがめられてる点もあり、修正してもらった。
工夫してスクリーンに種々の資料を写すらしい。
楽しみである。ホテルに戻ると2時に教員室に来てくれという電話あり、
同僚の先生方に私の手土産(芦屋で購入した和菓子)を渡すためである。
その後、祭忠良さんが街を案内して呉れる。
先ずは「曹宰相府」という古代に曹操の邸、近世に省の役所があったところで、
多分に娯楽的な三国史に因む展示がしてある。ここも私は無料、祭さんは地元で20元のみ支払う。
文昌塔(1614年に建てられた13層の8角の塔)と博物館は同一施設で週末ゆえに無料だった。
殷墟のある安陽はここからすぐ西の地域にある。
夕方からホテルに周さん、韓さん、胡さん3人が揃い、周さんには補足部分、
韓さんには関空で私が買った本に偶々中国で2008年から施行されてる
「労働契約法」の話題があり、急遽追加したものを渡した。
周さんは帰宅し、ホテルで3人で会食、赤葡萄酒を空けた。
胡さんは「重点大学など夢のまた夢」という。学院ではひたすらに「人材を教育するのみ」という。
2次会は外に出てジャスミンティー。胡さんは韓さんとウマが合うようだ。

12日 
いよいよ当日である。8時半に教室に行く。エレベーターの無い4階を登るのはつらい。
会場は満員。自己紹介のあと「現代の日本」の中国語訳を練習どうりに読んでゆく。やはり、
「年年歳々花相似」の詩を読むとざわめく、質疑の時間となり、
学生の質問がスクリーンに映し出される。
10時に10分の休憩を取り、22問を答えた。
9番の「日本人の中国への印象はどうか」は時間を十分に取った。
「分かりましたか」と中国語で問うと全員が一斉に「了解 リャオジエ」と答えてくれた。
「注意一秒、怪我一生」のジョークも披露した。
「許昌は北緯34.7度で神戸と同じで縁を感じます」というと拍手が来た。
最後に「大海 故郷」を私が歌って終了。日本人教師の中山、斉藤両先生が参加して聴講してくれた。
英語のクラスの女生徒が名刺を下さいと言うので渡した。
彼女から帰国後メールが来たが「WanDan」さんという。
ホテルの昼のヴァイキングでビールを注文したら40元の料金に入っていた。これには驚く。
ホテルで2時間ばかり眠った。3時に再度周、韓、胡の3先生がホテルに集合、打ち合わせ。
韓先生は資料作りに一時大学に戻り、現れたのは7時半、
大分修正し、完成したのは8時半であった。疲れた。

13日 
受講生は昨日よりは人数が少ないが高学年で別の緊張がある。
日本人教師2名もまん前で聴講。周先生が私の紹介をしてくれたのですぐに講話に入れた。
題目の「日本語あれこれ」も中国語では「これあれ」になる。売買も同様で「買売」になる。
「やはり」で作文を作ってもらった。
「あの選手は活躍すると思っていたが、やはり活躍してくれた」、
「挙句のはてに」は「買い物しようと出かけたが、
挙句の果ては何も買わずに帰った」という女生徒の答えだった。
50分で「日本の会社」に入る。序文のあと10分休憩した。
韓先生の労作で私のテキストはほとんどスクリーンに集約されてる。
10時20分には「金印物語」に入った。松本清張の似顔絵まで登場。
胡先生の名調子の解説が入り、面白い構成になった。
「後漢と魏」2つの金印が下賜された場所に近い当校での講話は意義あるものと思った。
6時半にホテルのロビーで胡さんを待ってると10日の呉さんが近づいてきた。
「之は1班38人からの記念品です」と言われるので
「友人に私の感謝の意を伝えて下さい」と言う。
場所は「花苑」で許書記主催、胡、周、韓、祭さんの他に呉さん(外事弁室)、
楊さん(英語科)も参加。許書記からサインを求められた。
彼は思想教育の副教授でもある。私が覚えたての
「司馬遷の史記に千恩不言謝という言葉がありますね」というと参加者全員が頷いた。
流石に漢字の国の人たちである。
最後に中国語と日本語で「桜」「花」を歌い、楊さんと「聖夜」をハミングで歌った。
近々大学主催のクリスマスパーティーが開かれるという。

14日 
朝8時に胡さんとロビー待ち合わせ、食事のあとすぐにチェックアウトした。
630元が戻ってくる。バスターミナルで券を買おうとすると、
胡さんが「急いで下さい」という「快、快」と出札係りに言って券をつかむなり荷物を
安全検査機に通すと胡さんは既に出発してる9時発のバスを呼びとめた。
挨拶もせずに乗り込む。
落ち着いて券を見ると9時半発の券である。別に改札にも来ない。
1時間でトイレ休憩。周囲は農地のようだ。鄭州に11時着。
天泉ホテルは駅前にありすぐに分かった。フロントで街の地図も呉れる。
博物館は農業通りにある。15日の洛陽行き前売り券8時5分発洛陽行きを購入。
40元。女性運転手の綺麗なタクシーで博物館に向かう。14元のメーターで到着。
しかし、月曜で休みらしい。そのタクシーでホテルに帰着。已む無くこの日は休養日とした。
ホテルの3階の食堂で食べる。街に出てみるとジングルベルが流れる。

15日 
長距離バスターミナルはすさまじいバスの出入りである。安全監視の職員が目を光らしている。
「何時間で着きますか」という問いに運転手は指を3つ立てた。
ガイドブックでは1時間半であるが、結局3時間かかった。外は雪景色である。
現在は降ってはいない。鄭州市内をかなり走って漸く高速道路になる。
白馬寺停留所を過ぎてもまだまだ市内を走る。携帯で許君とは連絡が取れてる。
しかしバスを降りても出迎えがない。許君は「来てますよ」とのみ言う。
私の失敗談であるが、中国の安全検査は厳重で一般人はバスに近づけないのである。
ターミナルの正面で携帯電話を係員に渡し、「迎えの中国人がいるのですが」というと直ぐに分った。
検査機のすぐ後ろに彼はいた。もう昼なのでレストランに運転手と3人で行く。
運転手も許さんである。鍋料理と2品に白米のご飯、量と質共に適していた。注文がうまい。
ビール2本とで120元。直ちに竜門石窟に向かう。洛川を渡る。4月の牡丹が名物という。
1時間で到着。許君の日本語はうまいとは言えない。今年検定の1級に合格したというが。
同君の謝礼200元とハイヤー代200元を渡す。ダダ広い駐車場で降りる。
広さでシーズンの混雑ぶりが想像出来る。そこからトラムカーで券売り場へ向かう。
対岸の中腹の香山寺の風景が美しい。雪は降ってないが周囲は雪景色で寒い。
入場料は1名120元である。
大きな伊川に橋が架かっていて1kmの山肌に北魏の494年から
唐代の400年に渡り、2000の洞窟、10万に及ぶ仏像がある。
鉄製の歩道が見学用に作られてる。目当ては何といっても「奉先寺の廬遮那佛」である。
武則天が寄付して675年に完成、彼女に似せて作ったという説もある。
遣唐使がこれを見て聖武天皇に奈良での建立を具申したので奈良の大仏の元祖である。
感銘を受けて南の橋を渡り、伊川を挟んで対岸の大仏を見るとこれも風情がある。
ズームで大仏を写したが成功しなかった。香山寺に入る。
北魏時代の創建であるが、建物はすべて何回も建て替えられたものである。
詩人の白居易が12年も住まいしてたので有名である。隣の白園には墓もある。
日本の寄付で日本の詩人の漢詩の碑がいくつも出来ていた。
雪景色の中で鳥を写すがなかなかシャッターチャンスが掴めない。
蒋介石の別荘も曾ってこの当りにあったらしい。
再びトラムカーで駐車場に戻り、関林廟に行く。
「林」とは聖人の墓がある意味である。ここに関羽の首が埋められた。
関羽は呉の孫権が殺したのだが曹操のせいにするために洛陽に送ったという故事がある。
洛陽は9つの王朝の都であった。東周、後漢、魏、晋、北魏、隋、
武則天の周、などである。これで観光は終了、
鉄道で帰ろうと思ったが8時台なのでバス6時半発を運転手が購入してくれた。
許君がバイトをしてる日本の居酒屋「扶桑美膳居酒屋」に行く。
ここで日本酒も飲めた。勘定は218元。
バスターミナルまで結構時間がかかり、ハイヤー代も380元まで値上げして来たので
チップ100元と駐車料30元以上は払わないと言い切った。
河南での唯一不愉快な出来事であった。バスにはトイレもついていて助かった。
鄭州の郊外で下ろし、待ってるタクシーに乗り次ぐ。
バスの隣に「聯想」の若い社員がいて英語で話せた。
鄭州は繊維で栄えてるらしい。日本はニッサンが進出。

16日 
チェックアウトしてタクシーで「河南博物館」に行く。パスポートを見せれば無料である。
ここはピラミッドの形をした重厚な建物で威厳がある。各展示室は大きくて非常に興味深く見れた。
写真撮影も自由で、「世界最古のフリュート」も写せた。
殷代以前からの古代の文明の開花の早さは驚くばかり。圧倒された。
昼食は向かいの「国際ホテル」で摂った。兎に角値段が安いので勘定を気にする必要がない。
帰途タクシーを拾うと女性の運転手でこの人と会話してると面白い。娘さんも1人いるようだ。
ホテルの荷物をボーイに運ばせて温泉ホテルまで彼女に頼むことにした。
信用してもらう為にメーターが14元のところ20元を置いた。
道中種々の話をしたが、「ホテルまでいくらで行けると思ってるか」
というので「おおよそ100元である」と答えた。
「なぜそう思うのか」と問うので「来た際に学院が往復で180元払ってたからだ」と答えた。
彼女は「それなら帰途の高速10元を加えて110元でどうか」という。
「OK」と答えた。愛嬌がある。「空港温泉ホテル」は浴槽もあり、初めてゆっくり風呂につかれた。
ここも1泊が250元である。

17日 
朝6時から朝食である。空港までホテルのバスで送ってくれる。
中国国際航空(CA)のカウンターに近いところへ7時前に付けてくれた。
9時20分に着いた北京空港はもう勝手が分ってる。東野圭吾の「片思い」を読んで過ごした。
西安の謝さん夫妻とも携帯で話した。昼食は日本料理の「わかめうどん」にした。美味であった。
欧米人も入ってる。日本料理は人気がある。
4時のフライトは20分遅れて起飛したが8時定刻に関空に着いた。
気温は6度。9日に比べて格段に寒くなってた。
記念品の礼に日本の寅の「お年玉袋」を40枚中国に郵送したら1月4日に着き、
学生は歓声を挙げて受け取ってくれたようだ。
彼ら38人のサイン入りの年賀カードが1月9日に届いた。(完)

2009年12月9日~17日 河南省への旅

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