富山キトキトの旅 

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富山キトキトの旅

 6月に95年以降に美津子と旅した記録を手帳頼りに整理した。
一人旅は算入せず、片や甥の婚儀で1泊したのも算入した。結果は47回で1泊は16回。
こうして気楽に旅出来たのも両親が揃って健康だからと話ていた矢先に7月20日に義母が自宅近辺で転倒し、
顔に大けがして入院するという事態が発生した。幸い検査も無事で、
我々の旅程は8月4日からなので義母の6日の退院を待たずに48回目となる旅に出かけたのである。
美津子から庭の鉢植えが多数になり夏の旅行はせいぜい4日くらいまでという注文である。
留守中の水ヤリは近所の友人林さんに依頼した。
私は齢64歳になるのに国内で富山、秋田、山形の観光をしたことがない。
今年は富山に照準を決めて、中央図書館で富山の「るるぶ」を借りて旅のデザインをしたところ、
まずマイカーで1日の行程を考えて370kmの砺波平野にある庄川温泉の「かね金」を振り出しに
3泊と決めた。「るるぶ」はその後購入し、観光情報を集めた。そこに掲載されてるのが「キトキト」
という表現である。辞書にもない。はてさてどういう意味なのか。
余り短い旅行も味がないので8月2日、義母を須磨に見舞った日に、夙川の「多賀谷」という寿司屋に
夕食を食べに行った。電話予約制である。夙川駅から徒歩5分のところにあり、開店して1年という。
料理は¥3,500のコースからあり、種々の趣向の料理を少人数に提供するスタイルである。
義母の安泰に乾杯。我々のコースは仕上げが寿司で勘定は¥10,800だった。
3日は美津子の伴奏でネルソンミサ曲の練習をした。

4日 
  朝4時起きの5時出発である。庭の水まきも済ませた。庭のセミがびっくりして鳴く。
夏の太陽を避けて、涼しい間に滋賀まで入ろうという魂胆である。
幸いこの日は曇りで日の出もなく、京都あたりでにわか雨で徐行を余儀なくされた。
菩提寺PAで朝食という段取りであったが、見過ごして通過した。二人とも眠ってたのかと思うとぞっとした。
黒丸PAで煮ぬき卵とバナナを食べる。48回のうち北陸は4回目である。美津子に賤ヶ岳SAで乗り変わる。
CDは元子姉の従姉妹さんから頂戴した中国人の歌う日本の叙情歌集。
カーナビで事故渋滞の情報があった。果たして刀根PA付近で渋滞に巻き込まれた。
レッカー車が白いフロントが破損した車を釣り上げてる。たくさんの車に影響がある。迷惑な話である。
2年前に来た日本海を一望出来る徳光PAで休憩。ここはいつも風が強い。2年前には両親とここで昼食をした。
車はすでに私が運転してる。金沢西以東ははじめての経験である。合歓の花が咲く。
小矢部(オヤベ)を過ぎて東海北陸自動車道と交差するジャンクションがある。
ここを福光方面に南下するのである。正面は白山や飛騨の山が望める。徳光は棟方志功の故郷である。
ここの美術館はパスして城端(ジョウハナ)でクアーハウスがあるので停車した。
ここは高速の客と一般道路の客が双方で利用出来る。
日曜とて一般車は多数来ている。地元の農産品も豊富に売ってる。ソフトアイスをシェアーした。
ここから長いトンネル2つを通過する。入り口に信号がある。どういう意味だろう。
城端トンネルと袴腰トンネルを越えるとすぐに五個山インターである。世界遺産の菅沼合掌集落に到着。
11時近い。ここは庄川の上流である。5つの谷に集落があるので五個山という。民俗館に入る。
古い住宅は400年前のものである。急こう配の茅葺き屋根は雪や風に強い。
飛騨の農業、木材、養蚕業の生活用品が展示されてる。川にロープを張り、それを渡る特別な籠もある。
付属に「塩硝の館」というのがあり、通し券で見れる。塩硝というのは火縄銃の火薬である。
ヨモギのような周辺の草と蚕の糞を混ぜて家の床下で腐らせる。
5年程して腐葉土に水をかけてその水を煮詰めると製品が出来る。
16世紀に火縄銃渡来と共にその製法が伝わり、当地は秘境であるので立地に適したらしい。
製品は金沢まで運ばれる。富山は加賀前田家の支藩である。芙蓉の大きな花が咲く。
テレビでアメリカ芙蓉と紹介されていた。さらに下流の相倉(あいのくら)集落に行く。
ここは村の入り口で停車料¥300を徴収する。菅沼より戸数が多く。民宿経営してる住宅が多い。
シーツを庭で干している。「まつや」でそばを昼食に注文した。
「五個山を おとずれし日の 夕餉時 森に響かう こきりこの唄」皇太子が当地訪問の際に詠まれた歌である。
平成3年の歌会始めに出されてる。下流に下がり、道の駅「たいら」で紙製品を数点求めた。
庄川は烏帽子岳を源流に132kmあるとか。
我々はそのうち上流の菅沼から25kmを車で下り、中流の温泉街につくのである。
ここに「アクアなないろ館」という施設がある。美津子が駐車スペースを見つけて呉れた。
今日は当地の祭りの日で付近は人出が多い。館内で勉強した。上流には有名な御母衣(みほろ)ダムがある。
富山県は水、電力、米、木というのがキーワードである。
昔の村人の祭りのジオラマや「鉄砲出し」と呼ばれる木材を下流に流す工夫の仕掛けがある。
実際に多量の水が一度に流れる。
お隣に「松村外次郎(1901―1990)」という地元の二科会の彫刻家の作品を展示した美術館がある。
にわか雨が降りだした。雄神温泉(オガミ)はすぐ近い。カーナビの誘導で走ると旅館が見えてきた。
我々は裏口から駐車場に入る。堂々たる旅館である。丁度3時。夕食は5時に決めた。
仲居さんが「ここは何にもありませんが」というとうり何の変哲もないところであるが。
河原が広く、土手の松も見えて心が安らぐ風景である。美津子も「いいねえ」という。
日本人の郷愁にある風景なのか。大浴場は相客もなし。鉱泉の露天風呂で鋭気を養う。
義母の怪我で自立の生活を意識した。定年退職者にも大いに鋭気が必要であると思う。
夕食は若い地元の「安永」さんという娘さんが給仕して呉れた。ここは鮎が名産である。
彼女は「川が台風で濁ってまして」という。前回の台風は逸れたはず、はてなと問う。
「上流の岐阜で大雨でした」。なるほど岐阜は台風が通過した。ここで「キトキト」の意味を尋ねた。
「新鮮な」という意味だそうである。彼女は「子どものキラキラしたパッチリした目のことも言います」
とつけ加えた。鮎は小振りであるが3匹それぞれ串に刺して炭火と供された。美味である。
翌朝川の雄神大橋を渡り、散歩した。釣り人のために無人の鮎販売所があり、4匹¥1,000とある。
昭和36年に播州でたしか1匹¥100だった記憶がある。確かに安いと思う。
紫の花があり、安永さんに聞くと「ギボウシ」ですという。ここの勘定は土産も入れて¥44,000。
おかみさんが送って呉れる。

5日 
砺波はチューリップで有名である。砺波インターの近くに「チューリップ四季彩館」が9時開館で、
寄り道した。博物館である。冷温室の花の栽培はごくわずか。盛りは5月始めらしい。
チューリップの原産はシルクロードの天山山脈である。栽培用のがトルコで16世紀から愛好された。
オランダに移り、球根が17世紀始めに異常な価格で取引されたバブルの話は有名である。
チューリップの球根は実は「葉」である。鱗根という。もちろんダリアのような塊根は「根」である。
そのほかにグラジオラスのように「茎」のものもある。日本に渡来したのはオランダから1828年、
砺波に移入したのは1918年であった。秋に植えた球根は雪の下であるが案外に底は暖かく0度前後らしい。
それと春の日照時間が長く、雪解け水で水が十分あるという自然条件がマッチした。土産に球根を購入した。
10月中旬にわが家に植えるべし。北陸自動車道を東に向かう。
富山市を流れる神通川や常願寺川を通過すると飛騨の北アルプスの威容の山が見えてくる。
ドライブの醍醐味である。黒部インターで降りてガソリンスタンドに入る。46Lで¥4870。¥106。
神戸より高い。しかし冷房を入れての550kmを走破したことを勘案すると燃費は安い。
我がアコードは環境適合車で保険料の割引もあるのである。さすがである。
途中道の駅「うなずき」が見えて素晴らしい建物である。帰途に寄ることにした。
20kmで宇奈月に到着。11時である。大きい駐車場は既に一杯。
我々は誘導員の指示でかなり上の端に留めた。
1泊で¥1,800。次いでトロッコの乗車券を買う。12時50分として終点欅平まで往復¥2,880。
これに特別車の追加料金¥360を払うと空いた車両に乗れる。
インターネットの調査で混んでると知っていたのでスペシアル料金を払った。
「るるぶ」推奨のそばや「わらじや」に行く。美津子は暖かい山菜そば。私はとろろそば。
ビールもおいしい。角の「モーツアルト」という喫茶で休む。
ここはトイレでもいろんな音楽が鳴る仕掛けである。
店主夫妻も上品である。黒部峡谷鉄道は工事用であるが、昭和12年に現在の終点まで開通し全長20km。
昭和28年に一般に開放した。夏休み入りしてるので大人気である。
発車してすぐに朱塗りの山彦橋を渡るとその峡谷の高さに車内で喚声が上がる。
下の歩道橋の人たちが乗客に向けて手を振る。娘さんが手と共に大げさに腰を左右に振っていたのが印象に残る。
昭和2年完成の柳原発電所は高峰譲吉博士がアルミの精練のために黒部で発電を提唱されたとか。
ジャスターゼのあの博士だろうか。黒部第二発電所は昭和11年に完成、当時11万kwは東洋一だったらしい。
「猫又」駅の近くに断崖の「ねずみ返し」という名所がある。
猫に追われた鼠さえも登られない絶壁、そして猫も又登れぬという地名である。
眼下に「黒部万年雪」というのが見える。
崖の一部がえぐれて雪が長く太い帯状に見える。真夏の太陽にさらされているのに奇妙である。
鉄道の左右には樹種を示した表示があり、ブナ、カツラ、クルミ、コノテガシワ等50種類はあろうか。
トンネルを通過すると肌がひいやりする。宇奈月の標高は224m、終点の欅平で599mである。
この峡谷に抱かれて一晩を過ごすのである。2時10分に終点に到着した。
宿舎の猿飛荘は美津子が95年以来林野庁の「グリーンののオーナー」で、その提携旅館リストから選んだ。
10%割引が適用される。2食付きで¥12,500である。
ところが着いた宿舎は食堂の階下で6畳部屋、部屋の鍵さえも無い。
ただ渓谷の側で流れが見えるのと正面に見事な滝が見える。
冷房はない。気温25度である。旅装を解き、散歩に出かけた。至るところに「落石注意、立ち止まるな」とある。
宿舎のあたりに赤い「奥鐘橋」があり、黒部川と祖母谷の(ババダニ)渓流が合流してるのである。
部屋から見えるのは祖母谷のである。名勝の猿飛峡谷は落石があるので通行禁止である。
峡谷が狭く猿も飛んで渡れるところから地名が出た。上流に歩いて15分で「名剣温泉」に到着。
本によるとここも秘湯である。家族ずれも見られる。日陰は涼しいがまだ暑い。
宿舎の露天ふろには夕食までに2回入浴した。硫黄泉である。隣の部屋は中年男性2人づれ。
後は工事の青年らしい3人のみ。主人の娘さんが幼稚園の娘を連れて応援に来ている。
宿舎の近くに公衆トイレがあり、ここは鉄道が管理していて清掃が行き届いてる。私も滞在中愛用した。
宿舎のより綺麗である。夕方散歩してると峡谷の果てに数本の雪渓のある山が望見出来た。
主人に聞くと「唐松岳」という。2696m。翌朝もう一度見ようと散歩したが、雲に阻まれて見えず無念。
8km上流の仙人ダムから放流する時にサイレンが鳴る。再々我々も聞いた。
主人によると15cmほど水嵩が増すらしい。
ここから上流が吉村昭の「灼熱地獄」という小説に書いた温度160度の岩盤がある地域という。
夕食は生ビールと岩魚の骨酒。福井の杉山鉱泉の骨酒のほうが美味だった。
黒部の発電力は合計で120万kwである。黒部第四だけで30万kwある。

6日 
  現金で¥25,900支払う。朝は誰もいないので美津子と女湯に入った。
水道の蛇口もあり、洗顔に都合が良い。驚いたのは遊歩道が見えるのである。
後刻散歩の時に遊歩道から確認したら確かに遠いが女湯の一部が見えることが分かった。
大らかな土地柄なのであろう。今日は初発の9時16分発に乗る。一般のトロッコである。
すれ違う車両も乗客は盛況である。10時38分に宇奈月に到着。道の駅に向かう。
「麦酒館」、学習の「友学館」、「炊の館」という3つの見事な建築である。ビール館は予約制である。
お茶を飲み、お土産に地ビールを購入した。そこから元来た道を戻り、朝日町に車をすべらした。
行くこと8km、仁清コレクションの「百河豚美術館」に到着。
寄付した青柳政二氏は河豚屋で財を成した人で、号を百河豚(いっぷく)というのである。
平安の仏像、仏画、根付け、出身の当地に昭和58年開館した。
鯉の沢山群れる広大な池に取り囲まれた展示館では仁清の牛車の香炉に驚嘆する。
仁清は江戸初期から元禄の頃の陶工で、作品の価値も高い。
壺はもちろん百人一首や源氏物語の和歌入りの煙草入れ、香炉、風炉など290点のコレクション、で恐れ入る。
昼食にと朝日町内に乗り入れてようやく駐車場のある店に巡り会った。ここで冷やしうどん定食¥800。
先の美術館の周囲に「なないろKAN」「朝日町歴史公園」「不動堂遺跡」が並ぶ。
「なないろ」は火曜が定休日。歴史公園に入ると保存建物の中から「ここは涼しいで、入ってらんしゃい」との声。
ここは江戸中期の庄屋の川上家の建物を移設したもので、広川てる子さんという婦人が管理してる。
いろりに火が入り、地元の「バタバタ茶」を馳走して呉れた。
名前が分かるのは一昨年秋に紀子様が隣の「なないろKAN」を訪ねて、
広川さんが宮様の前でこのお茶の手前をしたのが新聞に写真入りで出ているからである。
緑茶を発酵させて2本セットの茶せんで泡を立てる。美津子も茶せんの方法を教わり、カメラに納めた。
まあ、旅では出来事に遭遇する。隣の縄文遺跡では5,000年前の集落が復元されている。
昭和36年に発掘されたらしい。大きな藁屋根のは解説では古代の集会所らしい。
北アルプスが遠望出来るのどかな田園である。小川温泉は小川を遡るとすぐ。朝日小川ダムがある。
旅館は¥15,000(インターネットでアウトプットした¥1,000の割引券2枚持参。)
美津子に今度の旅館のグレードは上、下、中の順であると告げていた。江戸時代からの湯治場である。
しかし、離れた所にある露天風呂はあぶの異常発生で危険という。冬なら心配要らぬはず。
泉質はナトリウム塩化物炭酸水素泉。湯の温度は熱い。今夜は琴風、今の小車親方が夜に贔屓筋と来館とある。
夕食前に1時間ドライブした。日本海の向こうの陸地は能登半島の岬である。
海岸から北アルプスを見るが、雪渓のある姿は見られず。旅館の近所にハーブヴァレーがある。
朝日小川ダムと湖の展望台で小休止。我々は夕食が済むと寝てしまう。
カーナビが示す明日の430kmのために。

7日 
  ¥6,000ほど土産を購入し、勘定は¥40,000である。
道中インターの手前で給油した10L、これで神戸まで心配ない。
美津子は入善から徳光までの100kmを運転して呉れた。
幸い徳光で須磨の両家に土産が買えた。更に昼食した南条から多賀まで100kmも運転。
さすがにここからは自宅まで130km、さしたる支障もなく、3時に到着した。
中国語で夫婦の円満なること「和睦フームー」という。無事喧嘩もせずに48回の旅を終えた。(完)





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